お知らせ 0033 Livedoorへ引越します

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はてなBlogの編集画面が、異常に重く、遅く、
 
事実上使用不能なので、引っ越さざるを得ません。
 
 

Livedoorに、引越します。
 
http://blog.livedoor.jp/liverpool_white/
 
コンピュータから見た精神医療
 
 
LogiclPsychiatryX は、私の発案した概念ですが、
 
はてなブログでは、それを私のIDにしていました。
 
 
もしかしたら、livedoorでも、
 
LogiclPsychiatryX という言葉を、
 
使うかも知れません。
 
 
ロマン主義の精神医学を廃止して、
 
コンピュータのように論理的な構成の精神医学が、
 
必要と、考えています。
 
 
もちろん、論理法則は、
 
遺伝的に変更不能になった流行文化にすぎませんから、
 
科学技術のように、論理法則が間違いないと、
 
人間に確信させる知覚の遺伝的な仕組を、
 
論理的に解明できると、証明しなければなりません。
 
 
知覚の遺伝的な仕組は、鉄砲や黒船や原爆のような、
 
力尽くの手段により、作られましたから、
 
どのような知覚の遺伝的素質を取捨選択するかは、
 
権力そのものです。
 
 
論理法則が流行文化にすぎないのは、
 
権力と同じように、あたり前ですが、
 
証明しなければ、気が済まないのは、
 
精神医療に似ています。
 
 

ライブドアアメブロ楽天などは、
 
ジャズの歌詞を、無断で載せることができます。
 
 
はてなに載せると、著作権法違反になりますが、
 
一括して
 
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私は、ジャズの歌詞を貼り付けたいので、
 
引越しを決めました。
 
 
鎌倉の大仏は、私に似ていると、よく言われますが、
 
私は引越します。
 
 
 
 
 
 
 
 

【Viene la sera】 夕暮れに カラスとゲッダ 0032 蝶々夫人から


GEDDA & CALLAS , iene la sera,Butterfly, Puccini

【Viene la sera】 夕暮れに 
 
蝶々夫人 Madama Butterfly 第一幕の
 
ピンカートンと蝶々夫人の、二重唱
 
ソプラノ : マリア・カラス Maria Callas
 
テノール : ニコライ・ゲッダ Nicolai Gedda
 
 
※ 14分もありますが、奇麗な曲です。
 
 
       ***          ***
 
  
歌詞は著作権切れ。
 
翻訳は、オペラ対訳プロジェクトからの、パクリ。
 
 
 
♂ ピンカートン Pinkerton
 
 
 
Viene la sera
 
夜になった
 
 
 
♀ 蝶々夫人 Butterfly
 
 
 
...e l'ombra e la quiete.
 
...そして暗闇と静けさが
 
 
 
♂ ピン
 
  
 
E sei qui sola.
 
そして君はここにたったひとり
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
Sola e rinnegata! Rinnegata!
 
たったひとりで見捨てられて!見捨てられて!
 
e felice!
 
それでも幸せです!
 
 
 
♂ ピン
 
 
 
A voi, chiudete!
 
お前たち 閉めてくれ!
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
Si, si, noi tutti soli...
 
そう そうなの、私たちふたりだけ
 
E fuori il mondo...
 
世間なんて関係ない
 
 
 
♂ ピン
 
 
 
E il Bonzo furibondo.
 
怒り狂ったボンゾもね
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
Suzuki, le mie vesti.
 
スズキ 私の着物を
 
 
 
♀ 鈴木(女中) 
 
 
 
Buona notte.
 
おやすみなさいませ
 
 
 
♀ 蝶 (下のピンカートンの台詞と、重なる)
 
 
 
Quest'obi pomposa di sioglier mi tarda
 
この華やかな帯は 解くのに時間がかかります
 
si vesta la sposa di puro candor.
 
花嫁が着るのは清らかな白い衣装
 
Tra motti sommessi sorride e mi guarda.
 
あの人は何かつぶやきながら 
 
ほほ笑んで私を見つめてる
 
Celarmi pottessi! ne ho tanto rossor!
 
隠れてしまいたいわ!とっても恥ずかしい!
 
E ancor l'irata voce mi maledice...
 
あの怒りの声が まだ私を呪っている…
 
 
 
♂ ピン (上の蝶々夫人の独白と同時に、歌う)
 
 
 
guardando amorosamente Butterfly
 
リスのような動きで
 
あの子は結び目を解いていっている!
 
Con moti di scoiattolo i nodi allenta e scioglie!
 
この小さな玩具のような娘が私の妻なのだ!私の妻!
 
sorridendo
 
だけど、この目に見えた優美さが
 
Ma tal grazia dispiega,
 
僕から解き放つんだ
 
ch'io mi strugge per la febbre d'un subito desio.
 
欲望の突然の熱情を
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
Butterfly, rinnegata...
 
バタフライは 見捨てられて…
 
Rinnegata... e felice.
 
見捨てられて...それでも幸せです
 
 
 
【二重唱のアリア】
 
 
 
♂ ピン   (着替えと化粧を、終えて、
 
        縁側から、庭に下りる蝶々夫人に、
 
        手を貸しながら)
 
 
 
Bimba dagli occhi pieni di malia
 
魅惑のまなざしに満ちた少女よ
 
ora sei tutta mia.
 
今、君はすっかり僕のものだ
 
Sei tutta vestita di giglio.
 
君は白百合のような着物を着ている
 
Mi piace la treccia tua bruna
 
僕は君の編んだ黒髪が好きだ
 
fra i candidi veli.
 
白いベールの間の
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
Somiglio la Dea della luna,
 
月の女神のように見えますか
 
la piccola Dea della luna
 
月の小さな女神は
 
che scende la notte dal ponte del ciel.
 
夜に天の橋から降りてきて
 
 
 
♂ ピン
 
 
 
E affascina i cuori...
 
人々の心を魅了するのだ...
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
E li prende e li avvolge
 
そう 心をつかまえて、包んでしまうのです
 
in un bianco mantel
 
白い着物の中に
 
E via se li reca
 
そして連れていってしまうのです
 
negli alti reami,
 
天空の別世界へと
 
 
 
♂ ピン
 
 
 
Ma intanto finor non m'hai detto,
 
まだ君は僕に言ってくれてないね
 
ancor non m'hai detto che m'ami.
 
言ってくれてないね 愛していると
 
Le sa quella Dea le parole
 
女神は知っているだろうか 
 
che appagan gli ardenti desir?
 
その言葉が熱い思いを静めるのを?
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
Le sa.
 
知っていますわ
 
Forse dirle non vuole per tema d'averne a morir,
 
でもたぶん心配してそれを言いたくないだけ
 
per tema d'averne a morir!
 
死んでしまうのではないかと心配して!
 
 
 
♂ ピン
 
 
 
Stolta paura, l'amor non uccide
 
愚かな心配だ、愛は殺さない
 
 
 
ma da vita e sorride per gioie celestiali
 
命を与え、天の喜びにほほ笑むのだ
 
 
 
come ora fa
 
ちょうど今
 
nei tuoi lunghi occhi ovali…
 
君の切れ長の瞳がほほ笑んでいるように ...
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
Adesso voi
 
今、あなたは
 
siete per me
 
あなたは私にとっては
 
l'occhio del firmamento.
 
天空の中心なのです
 
E mi piaceste dal primo momento  
 
そして、私はあなたが好きでした 初めて
 
che vi ho veduto.
 
お会いしたときから
 
 
 
Siete alto, forte.
 
あなたは背が高くて強いお方
 
Rideste con modi si palesi
 
とても朗らかにお笑いになる
 
e dite corse che mai non intesi.
 
そして私が今まで聞いたことのないことを話される
 
 
 
Or son contenta,
 
今、私は幸せ、
 
 
 
or son contenta.
 
今私は幸せです
 
 
 
Vogliatemi bene,
 
私にください
 
un ben piccolino,
 
小さな幸せを
 
un bene da bambino,
 
赤ちゃんのような幸せを
 
quale a me si conviene.
 
私にはそれがふさわしいのです
 
 
 
Vogliatemi bene.
 
私にください
 
Noi siamo gente avvezza
 
私どもは慣れていますの
 
alle piccole cose
 
ささやかなことに
 
umili e silenziose,
 
つつましく静かな幸せに
 
ad una tenerezza
 
そして優しさに
 
sfiorante e pur profonda
 
控え目でいながら それでも深い
 
come il ciel, come l'onda del mare!
 
空や海の波のような優しさに!
 
 
 
♂ ピン
 
 
 
Dammi ch'io baci le tue mani care.
 
君の可愛い手にくちづけさせておくれ
 
Mia Butterfly!
 
僕のバタフライ!
 
come t'han ben nomata tenue farfalla...
 
なんて君に似合った名前だ か弱い蝶々...
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
Dicon che oltre mare
 
海の向こうの国では
 
se cade in man dell'uom,
 
人の手に捕らえられると
 
ogni farfalla da uno spillo e trafitta
 
蝶々は針で刺されて
 
ed in travola infitta!
 
板の上に留められるのだそうですね!
 
 
 
♂ ピン
 
 
 
Un po' di vero c'e.
 
少しは本当だけど
 
E tu lo sai perche?
 
君はなぜだか分かるかい?
 
Perche non fugga piu.
 
もう二度と逃がさないためなのさ
 
 
 
Io t'ho ghermita
 
僕は君を捕まえたんだ
 
Ti serro palpitante.
 
震える君を抱きしめ
 
Sei mia.
 
君は僕のものさ!
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
Si, per la vita. 
 
ええ 生きている限り
 
 
 
♂ ピン
 
 
 
Vieni, vieni!
 
おいで、おいで!
 
Via dall'anima in pena
 
痛む魂からうち捨てよう
 
l'angoscia paurosa.
 
恐ろしい苦悩なんか
 
E notte serena!
 
とても澄み切った夜だ!
 
Guarda: dorme ogni cosa!
 
ご覧、すべてが眠っている!
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
Ah! Dolce notte!
 
ああ!ステキな夜!
 
 
 
♂ ピン
 
 
 
Vieni, vieni!
 
おいで、おいで!
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
Quante stelle!
 
何てたくさんの星たち!
 
Non le vidi mai si belle!
 
こんな美しい景色は見たことがないわ!
 
 
 
♂ ピン
 
 
 
E notte serena!
 
とても澄み切った夜だ!
 
Ah! vieni, vieni!
 
ああ!おいで、おいで!
 
E notte serena!
 
とても澄み切った夜だ!
 
Guarda: dorme ogni cosa!
 
ご覧、すべてが眠っている! 
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
Dolce notte! Quante stelle!
 
ステキな夜!何てたくさんの星たち!
 
 
 
♂ ピン
 
 
 
Vieni, vieni!
 
おいで、おいで!
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
Non le vidi mai si belle!
 
こんな美しい景色は見たことがないわ!
 
 
 
♂ ピン
 
 
 
Vieni, vieni!
 
おいで、おいで!
 
 
 
♀ 蝶
 
 
 
Trema, brilla ogni favilla ...
 
震え、火花のように輝いている …
 
 
 
♂ ピン
 
 
 
Vien, sei mia!..
 
おいで、君は僕のものさ! …
 
 
 
♀ 蝶 (下のピンカートンのパートと、重なる)
 
 
 
... col baglior d'una pupilla! Oh!
 
..瞳のきらめきとなって!おお!
 
Oh! quanti occhi fissi, attenti
 
ああ!何てたくさんの瞳が つつましく
 
d'ogni parte a riguardar!
 
あちこちから見つめているのかしら!
 
pei firmamenti, via pei lidi, via pel mare!
 
大空からも 陸からも 海からも!
 
 
 
♂ ピン (上の蝶々夫人のパートと、同時進行)
 
 
 
Via l'angoscia dal tuo cor
 
君の心から不安を打ち捨てよう
 
ti serro palpitante. Sei mia.
 
震える君を抱きしめるんだ。君は僕のものさ
 
Ah, vien, vien, sei mia!
 
ああ、おいで、おいで、君は僕のもの!
 
Ah! Vieni, guarda: dorme ogni cosa!
 
ああ! おいで、ご覧、すべてが眠っている!
 
Ti serro palpitante. Ah, vien!
 
震える君を抱きしめるんだ。ああ、おいで!
 
 
 
♀ 蝶 (下のピンカートンのパートと、重なる)
 
 
 
Oh! quanti occhi fissi attenti.
 
ああ!なんてたくさんのまなざしが
 
Quanti sguardi ride il ciel!
 
たくさんのまなざし 空が笑っているわ!
 
Ah! Dolce notte!
 
ああ!ステキな夜!
 
Tutto estatico d'amor ride il ciel!
 
みんな愛に酔いしれて 空が笑っているわ!
 
 
 
♂ ピン (上の蝶々夫人のパートと、同時進行)
 
 
 
Guarda: dorme ogni cosa.
 
ご覧、すべてが眠っている。
 
Ah! vien! Ah! vieni, vieni!
 
ああ!おいで!ああ!おいで、おいで!
 
Ah! vien, Ah! vien! sei mia!
 
ああ!おいで!ああ!おいで!君は僕のものだ! 
 
 
 
 
 
 
 
     カラヤン Herbert von Karajan 指揮の、
 
     ミラノスカラ座管弦楽団の、1955年の、
 
     蝶々夫人の定番のような、演奏です。
 
 
 
     プッチーニ Giacomo Puccini の、
 
     きれいなきれいな曲ですから、
 
     麻薬みたいなものです。 
 
 
     私は、性欲と生殖をネタにして、
 
     美しいと言われる流行文化の価値観により、
 
     ロマンティックな物語を作ることが、
 
     大好きです。
 
 
     この後、ピンカートンは、本国に帰り、
 
     音沙汰がありませんので、
 
     蝶々夫人は、子供と自分を、刺し殺しました。
 
 
     ロマン主義が、言おうとしていることは、
 
     ヒトラーと同じですが、
 
     わかっているのに、やめられないのは、
 
     麻薬です。
 
 
     精神医療は、抗精神病薬抗不安薬などの、
 
     向精神薬により、
 
     人為的に、そのような精神を作り、
 
     治療と称しますが、
 
     音楽や文学だけでなく、
 
     人間の文化や、個人の人格は、
 
     生まれつきの身体の仕組の通りに、
 
     気持ち良くなることを、目指しています。
 
 
     向精神薬と同じように、依存症になり、
 
     やめようとすれば、
 
     禁断症状が出るだけでなく、
 
     やめなければ、身体がぼろぼろになり、
 
     死にます。
 
 
     そのことを、昔は、成人病と言いましたが、
 
     今は、生活習慣病と言います。
 
    
     生きることが病気であり、
 
     みんなと一緒の場合だけ、
 
     病気でないとします。
 
    
     精神医療だけでなく、
 
     医療が、ロマン主義を標榜するのは、
 
     間違っていると、コンピュータは言います。
 
 
     美しいと感激する仕組が、
 
     安物のオナニーと変わらないような
 
     作曲技術です。
 
 
     私は大好きです、プッチーニ
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
  
 

三椏 ミツマタは、まだ 0031 ロマンティックな知覚

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ジンチョウゲ科ですので、常緑の沈丁花と同じように、
 
2月に咲いても良さそうですが、
 
東京の三椏は、3月の中頃まで、咲きません。
 
 
香りもありませんが、
 
落葉樹の中でも、葉の開く前に、花が咲きますので、
 
梅や桜のように、人間に可愛がられています。
 
 

そういう物語が、必要なのでしょうか、
 
死んでゆく人間の判断には。
 
 
精神や事実などの知覚だけでなく、
 
科学技術を導き出す論理法則も、
 
勧善懲悪を習得した価値に似て、
 
荒唐無稽の物語が、
 
遺伝的に変更不能になっているだけの、
 
生まれつきの身体的な価値にすぎません。
 
 

一気に書くと、難解になりますので、
 
のんびりと書くと、次の通りです。
 
 
精神が在るのか、無いのかは、
 
だれでも簡単に、想像のつく議論ですが、
 
事実についても、同じように
 
在るのか無いのかが、わからない、
 
という議論になることを、
 
現代日本人は、合点できません。
 
 
最大の理由は、科学技術への信頼から、
 
事実が確実に存在するのでなければ、
 
科学技術が人間の役に立つこともあり得ないと、
 
強く確信しているからですが、
 
科学技術が役に立つからと言って、
 
科学の言い草に、間違いがない、
 
という理由に、なりません。
 
 
科学は、未来の事実を予測しますが、
 
試行錯誤しますので、
 
いつも未来を予測できるとは、限りません。
 
 
多くの人に認められた定説は、
 
かなり確実に、予測していますので、
 
たいていは、予測通りの未来になります。
  
 
科学の主張を、信頼できると判断する根拠は、
 
その主張が、科学的であるからでしょうか、
 
それとも、
 
多くの人に認められた定説であるからでしょうか。
 
 
実際に、たくさんの人が、何度も行なってみて、
 
いつも、その通りなら、
 
その言い分は、間違いないと、信頼されます。
 
 
科学的な理由は、たいてい、後回しです。
 
 
こうすれば、必ず、こうなると、
 
事実を確定しなければいけません。
 
 
条件を絞り込み、その条件なら、必ずそうなると。
 
 
そうして、みんなに支持されて、
 
確定した事実と、科学的な条件は、未来を予言して、
 
たいてい的中しますが、
 
実用的に矛盾の出ない条件と事実も、
 
実用の範囲が広がると、矛盾が出て来ますから、
 
さらに条件を詳しくして、事実を絞り込み、
 
つねに、こまめに改訂し続けなければ、
 
やがて時代錯誤の嘘八百になります。
 
 
この科学技術の事実と、科学が条件を付けた説明は、
 
私たちの生活に合致するように、
 
論理法則の内容を整備して、
 
具体的な事実を、
 
一般的で普遍的で必然的な事実に近づけることにより、
 
物事(ものごと)の規則性と、あらゆる事実とが、
 
同じであると、言おうとしていませんか。
 
 
これはマンサクであると、命名するように、
 
樹木と音声は、違う物事であるにもかかわらず、
 
同じであると定義すれば、同じになります。
 
 
科学技術や科学は、精神と事実は同じであると、
 
定義しようとしていませんか。
 
 

実は、科学技術や科学の行なっていることと、 
 
似たようなことを、
 
人間の知覚が、大昔から行なっていると、
 
ロマン主義と言われる一群の思想家たちは、
 
共通して主張します。
 
 
ロマン主義では、
 
知覚の主体の精神が、知覚の対象の事実を、
 
目や耳を使い、知覚する、と主張します。
 
 
ロマン主義を信じない人たちが、
 
それは変だと、文句を言い、
 
私たちが科学技術を信じて、
 
目や耳で見聞きした事実を、
 
間違いないと確信するのは、
 
流行文化の虚妄にすぎないと、指摘します。
 
 
精神が無いとは、
 
大昔から仏教が言っていただけでなく、
 
キリスト教イスラム教も、
 
私たちの精神は、
 
神の意思に反しない限り、という条件付きでしか、
 
存在しないと主張して来ましたが、
 
現代では、
 
コンピュータの判断の手順を提示した記号論理学が、
 
精神や事実は、論理的な仮定であると、言いますから、
 
インドやギリシャで、論理学が盛んになった古代から、
 
何と何と何が、論理法則として、人種や時代によらずに、
 
多くの人に認められている定義であるかを、
 
大昔から考えてきた人たちにとって、
 
精神や事実による知覚が、バーチャルであるのは、
 
あたり前のことでした。
 
 
精神や事実が、在るのか無いのかは、
 
特定の文脈でなければ、明示できないように、
 
知覚が間違いないと確信したり、
 
目や耳が在るのに決っていると、
 
みんなで信じたりするのは、
 
判断の条件を絞り込む作業を、怠っているだけです。
 
 

私たちが、流行文化を無意識に信じるのは、
 
遺伝的に、そのような素質が取捨選択されて、
 
変更不能になっているからと、疑われるように、
 
論理法則の成り立ちが、流行文化に由来すると、
 
疑わないのは、
 
おそらく、生後に習得された文化は遺伝しないと、
 
受験勉強で教え込まれたせいでしょう。
 
 
一般的に、
 
無意識に信じるのが、遺伝的素質であるだけでなく、
 
特定の具体的な文化を、信じざるを得ないように、
 
生まれつきに遺伝的に規定されていることも、
 
人それぞれに、避けられない判断の傾向かも
 
知れません。
 
 
池の鯉は、生まれた直後に、選択されて、
 
売れない模様の個体は、殺されて捨てられます。
 
 
売れそうな色や柄や形や、病気に対する抵抗力などの、
 
遺伝的な形質を、取捨選択することにより、
 
特定の遺伝的形質のみが、純化(じゅんか)されて、
 
生殖するように、管理されています。
 
 
ブルドックやダックスフンドも、
 
そうして短期間に作られた品種ですが、
 
人間の文化もそれです。
 
 
戦争や訴訟や喧嘩などの争いだけでなく、
 
精神医療や、個人を取捨するための優劣の判定や
 
教育や道徳と称する文化の強要なども、
 
特定の遺伝的素質を選択して、
 
そうでない素質を間引くのが、
 
ほんとうの目的かも知れません。
 
 

世間一般に言われている流行文化だけでなく、
 
道徳や教育や、憲法や刑事訴訟や精神医療なども、
 
事実や精神と言われる架空の物語を根拠にして、
 
個人を抹殺しますので、
 
古代の神話とあまり変わりません。
  
  
錦鯉の、特定の色や柄を、良いとして、
 
そうでない個体を殺すのは、
 
架空の物語を信じているだけの、
 
特定の価値観を根拠にしていますが、
 
道徳や教育だけでなく、法律や医療も、そうです。
 
 

事実の知覚と、論理法則や科学技術の確信が、
 
刑事訴訟や精神医療や憲法などの、
 
ロマン主義の思想に、端的に現われていますので、
 
法律家や医師は、星座の物語のように、
 
他人を殺すことに、躍起になっている自分の精神を、
 
疑いません。
 
 
ロマン主義は、古代の呪術を、
 
復興したようなものですので、
 
共産主義革命や2度の世界大戦やホロコーストなどを
 
惹き起して、自滅しましたが、
 
コンピュータを作った記号論理学が、
 
第二次世界大戦後に花盛りになったのは、
 
ほんの一瞬だけでした。
 
 

アメリカ合衆国やロシアや日本などでは、
 
ロマンティックな思想が、廃れていませんが、
 
第二次世界大戦後の日本経済の躍進が、
 
主たる原因かも知れません。
 
 
その後は、中国経済に引き継がれましたが、
 
毛沢東スターリンが信じた共産主義は、
 
ルーズベルトアメリカ合衆国と並び、
 
第二次世界大戦後も廃れないロマン主義の核心でした。
 
 

コンピュータを作った判断の手順は、
 
日本や中国やロシアやアメリカなどのロマン主義を、
 
きっぱりと否定しているにもかかわらず、
 
まだ、それらの国の民衆は、
 
否定されていることに気づきません。
 
 
おそらく、ロマン主義の脅威を、
 
経験していないからですが、
 
そのことを、頭が悪いと、言うことも出来ます。
 
 
流行文化が、
 
遺伝や論理法則や、知覚される事実などを、作るのは、
 
精神の存在を確信するよりも、厄介です。
 
 
私は、去年も今年も、一昨年と同じように、
 
お正月の迷信を実行するのは、知的障害に近いと、
 
疑いますが、
 
ほとんどの人は、合理的な理由もない文化の伝承を、
 
良いことと感じています。
 
 
語源を詮索したり、礼儀を教えたりするように、
 
ほとんどの人にとって、合理的な生き方は、
 
迷信が廃れないように吹聴することに、
 
ほかなりません。
 
 
自分と同じことを、他人にさせれぱ、
 
孤立を防げる、というものです。
 
 
 
 
 
 
 

満作 マンサクの蕾 0030 原子爆弾の作り方

f:id:LogicalPsychiatryX:20180102221437j:plain

マンサクは、
 
蕾(つぼみ)が綻(ほころ)びましたので、
 
週末に、咲くでしょう。
 
鎌倉ですが。
 
 
後ろの白いのは、お寺の障子です。
 
マンサクの枯葉は、
 
もぎ取らなければ、春まで落ちませんから、
 
一葉二葉を残して、
 
わざと、この姿を作っています、たぶん。
 
 
ミツマタは、まだまだですから、
 
マンサクが、やはり1番かも。 
 
 
梅は、品種により、もう満開のはずですが、
 
品種というのは、厄介です。 
 
 

トキワマンサクは、夏でも咲いていますが、
 
ラテン名が、Loropetalum chinense です。
 
 
マンサクは、japonica ですから、
 
トキワマンサクは、シナマンサクの品種だったのかと、
 
勝手に思っていると、
 
マンサクは、Hamamelis japonica でした。
 
 
全然違う植物に、
 
同じマンサクの名前を、付けないでください。
 
 

かつて、『数学原理 Principia Mathematica』を
 
著述した記号論理学者は、
 
同音異義語が、論理法則の誤用に繋がると、
 
考えましたが、
 
同じ言葉の使用例は、すべて同音異義語の実例ですから、
 
厄介です。
 
 
論理法則は、
 
遺伝的に変更不能になった流行文化にすぎませんから、
 
論理法則に忠実な科学技術が、
 
自己矛盾をきたさないのは、
 
違うものを同じとするのが、論理法則であり、
 
人間の知覚は、
 
論理法則の運用により、成り立つからです。
 
 

マンサクの木と、マンサクという言葉は、
 
似ても似つかぬくらいに、全然違いますが、
 
同じであると、定義するのが、論理法則であり、
 
色々な条件を付けて、定義しますので、
 
論理法則は、さまざな定義の仕方の寄せ集めであり、
 
そのような定義の仕方を、私たちは流行文化と言い、
 
刑事訴訟や精神医療などのように、
 
流行に靡(なび)かない奴を、殺して来ましたから、
 
遺伝的に純化された形質として、
 
具体的に変更不能になった流行文化が、優勢になると、
 
多々ある論理法則の内の、1つの慣習法と数えられます。
 
 
人殺しと、論理法則と、科学技術とが、一致するのは、
 
鉄砲や黒船や原爆のように、あたり前なのですが、
 
コンピュータの作り方を知らない人は、
 
脳の樹状突起の枝分かれと、
 
プログラムの0と1の組合せの関係を、
 
理解できないかも知れません。
 
 

論理法則が、自己矛盾をきたさない原理は、 
 
知覚の仕組と同じですから、
 
論理法則に忠実な科学技術が、確信されるのは、
 
あたり前です。
 
 

犬を品種改良して、
 
ブルドックやダックスフンドを作ったように、
 
しょうもない流行文化が、
 
論理法則として変更不能になるのは、迷惑です。
 
 
鉄砲や黒船や原爆などの科学技術は、そうでした。
 
学校で、原子爆弾の作り方を、教え込まれたでしょう?
 
 
 
 
 
 
 

富貴草 フッキソウの白い実 0029 抗精神病薬の残虐な作用

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手入れをしなくても、
 
年中、地面を覆ってくれる常緑の、小さな低木ですが、
 
茎が地上を這い、繋がっていますので、群生します。
 
 

雌雄異花ですが、同じ花序の一番下に、雌花が付き、
 
上のほうは、全部雄花です。
 
 
雌花には、雄しべや花びらがなく、
 
雌しべの先が、2本に分かれています。
 
 
雄花にも、雌しべや花びらがなく、
 
4本の太い雄しべがあるだけです。
 
 

花は、柄(え)がありませんが、穂状花序でなく、
 
円錐花序のように、花穂の軸が枝分かれします。
 
 

花も奇麗ですが、冬の白い実が、出色です。
 
 
2本の角は、
 
雌しべの先端の枝分かれが、残ったものです。
 
 
白い実が残っていたので、貼り付けて置きます。
 
 

生物の進化の枝分かれと、人間の判断の枝分かれが、
 
互いに共有する論理法則は、
 
遺伝する形質を純化して、
 
変更不能になった文化にすぎませんので、
 
脳の樹状突起や、半導体集積回路だけでなく、
  
コンピュータのプログラムが、
 
0と1の枝分かれを羅列するのは、猿でもわかります。
 
 

互いに相似ですから、
 
知覚の主体の精神と、知覚の対象の事実が、
 
一致するのは、自明です。
 
 
けっして、人間の判断に左右されない事実が、
 
独立しているのでありません。
 
 

精神と事実は、別であると、
 
科学が、虚偽を申告するのは、
 
精神医療や刑事訴訟が、精神や事実の存在を、主張して、
 
権力を擁護するのと、同じです。
 
 
脳の樹状突起が、枝分かれしなければ、
 
精神と事実が一致すると、自覚するのは、
 
老化現象ですが、
 
樹状突起が枝分かれしても、
 
体細胞や生殖機能の老化を、防げません。
 
 
抗精神病薬は、精神の廃疾を目的とする薬物ですから、
 
強制的に投与された人は、
 
精神と事実の関係について、理解不能になり、
 
論理能力と運動能力は、回復しません。
 
 
精神病患者の脳の機能は、精神科の治療のせいで、
 
すでに破壊されていますから、
 
被害者はだれも、抗議の声を、上げることが出来ません。
 
 
ロボトミーよりも、抗精神病薬が危険であることを、
 
精神医療の犠牲者たちは、理解できません。
 
 

彼らは、無抵抗になるだけでなく、
 
精神科医に阿諛追従して、従順になります。
 
 
老化して疲れれば、無抵抗になるのと、同じですが、
 
抗精神病薬では、けっして、反抗的になりません。
 
  
投げやりにならずに、無能になります。 
 
 
 
 
 
 
 

品川を京急から 0028 精神病・精神病院・抗精神病薬・精神科の、廃止と解体

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品川のビル群は、この写真の東側に、
 
インターシティというのがあり、
 
線路ぎわに、グランドコモンズがあります。
 
 
今までは、京急の特急に乗り、
 
横須賀から、品川の職場に、通勤していました。
 
 

今は、港区内のマンションから、
 
自転車で通勤していますが、
 
まだ、荷物が片付いていませんので、
 
横須賀と港区の、二股です。
 
 
横須賀の家の、私の部屋は、
 
要らない物を処分すれば、孫たちが使います。
 
 

ボストンバッグ1つで、暮らせるように、
 
自転車1台と車1台とnoteパソコン数台を、除けば、
 
わずかの寝具や調理具や衣類だけが、持ち物です。
 
 
親の遺品の始末に、往生しましたので、
 
私は、生きている内に、処分します。
 
 

最後に、車を捨てます。
 
維持するための、道具や書類が、多すぎる。
 
 
雨の日や、病気の日に
 
ちゃりんこで間(ま)に合わなければ、
 
タクシーで充分です。
 
  
めぼしい荷物は、
 
予備として必要な、数台のパソコンとスマホだけ。
 
 
ボストンバッグ1つで、入院できるでしょう。
 
 
いつでも死ねるように、
 
身辺整理は、健康な男のマナーと、思っています。
 
 
猫も、死体を見せませんが・・・
 
 

さて、精神医療や性転換について、
 
今年は、書くことになります。
 
 
精神科医や精神医療に、
 
人は、何を望んでいるのでしょうか。
 
 
精神医療には、何を病気であるとしたり、
 
なぜ治療が必要である、とする根拠がないだけでなく、
 
現に、そのような病気であるとする証拠や証明も、
 
ありませんが、
 
当人の同意もなく、強制的に病気の診断と治療を行ない、
 
隔離監禁投薬などにより、
 
不可逆的に瞬時に、人を廃疾に処するする権限が、
 
精神科医に付与されています。
 
 

精神病院は、それを強行するための、隔離施設ですが、
 
西ヨーロッパでは、すでに廃止されました。
 
 
瞬時に不可逆的に、人を廃疾にするのは、
 
抗精神病薬のデポ注射が、2週間以上に渡り、
 
持続的に効力を発揮して、中和剤もなく、
 
拘束具に捕縛したままの、10秒余りで、
 
人格の決定的な破壊が、事実上、完了するからです。
 
 
以後は、抗精神病薬の効力が不足すれば、
 
精神病の診断基準に記載されているような、
 
激しい妄想や幻覚や人格の解体などの症状が、
 
禁断症状として、必ず現われます。
 
 

初発の診断以前の未治療時に、
 
そのような症状のあった人は、1人もいません。
 
 
ドーパミンが過剰であった人も、皆無です。
 
 
治療以前に、そのような症状が、
 
証拠により証明された人は、
 
世界中を探しても、精神病患者の中に、
 
1人もいません。
 
 

抗精神病薬は、麻薬のように作用しますから、
 
早急に抗精神病薬の依存症を治療しなければ、
 
確実に廃疾に至りますが、
 
精神病の治療のために、
 
抗精神病薬を投薬している、とするのが、
 
精神科の言い分であり、
 
投薬をやめれば、必ず現れる妄想や幻覚や
 
人格の解体などの禁断症状を、
 
「薬をやめれば、精神病の症状が、必ず再発する」と、
 
社会や患者に嘘をつき、言い抜けるばかりで、
 
精神科医は、絶対に、
 
抗精神病薬の強制投与による医原病を、白状しませんし、
 
治療しません。
 
 

抗精神病薬は、
 
ドーパミンのアンタゴニストとして作用しますが、
 
ドーパミンは、
 
人間の知能や運動能力に必需の、神経伝達物質ですので、
 
これを強制的に抑制された人は、
 
知能や運動能力がなくなり、
 
どれほどに健康な人も、必ず、いわゆる廃人になります。
 
 

人間の脳の神経細胞の数と樹状突起の枝分かれは、
 
生後1年以降に、減る一方ですから、
 
ドーパミンの強制的な低下により、
 
神経細胞樹状突起の、数や枝分かれを、
 
急速に失った人は、二度と回復しません。
 
 
たとえ、抗精神病薬の禁断症状の治療が成功しても、
 
人為的に作られた痴呆は、治りません。
 
 
強制的な治療を行なう医療保護入院措置入院は、
 
事実上の、人格についての、完全な死刑執行ですが、
 
日本の精神科医のほとんどは、
 
遊び半分で行なっています。
 
 
犯意が、非常に悪い。
 
 

精神病院と精神科と精神病の廃止は、
 
当面の人類の課題ですが、
 
精神科医が断罪される日は、遠くありません。
 
 
これまでの精神医療を否定しないだろうと、
 
期待しないで下さい。
 
 
精神科医の行末は、非常に危険ですので、
 
患者であるとないとにかかわらず、
 
近づかないことを、お薦めします。
 
 
とりわけ、日本の精神科は悪質ですので、
 
最も過酷な方法で、断罪される可能性が、高い。
 
 
 
 
 
 
 
 

【カーニバルの朝】 ペリー・コモ 0027 事実の真偽を、知覚できますか


Perry Como and Luiz Bonfa - Manha de Carnaval

【カーニバルの朝】 Manha de Carnaval
 
歌 : ペリー・コモ Perry Come
 
ギター : ルイス・ボンファ Luiz Bonfa(作曲者)
 
 
    **** ****
 
 
最初のフレーズを聞いただけで、
 
ペリー・コモの声に、痺れますが、
 
前奏のギターが、作曲者自身ですので、
 
生き生きとしています。
 
 
外科医はだめですが、散髪屋は素晴らしい。
 
 

2018年のリオのカーニバルは、
 
2月9日(金)~2月13日(火)までとか。
 
 
復活祭の46日前ですけれど、
 
死んでから3日目に復活したキリストを、
 
春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日に祝う理由を、
 
私は知りません。
 
 

太陽暦太陰暦の両方を用いますから、
 
復活祭の日が、年により変わり、
 
当然、謝肉祭のカーニバルの日も、変わります。
 
 

紀元前後のローマは、ミトラ教が盛んでしたが、
 
ようするに、月と太陽の暦の、数学的な計算が、
 
信仰の対象となる神秘でした。
 
 
天体の運行の規則性を、信仰するのは、
 
インド人の数学的な文化だけでなく、
 
論理法則という流行文化が、
 
遺伝的に変更不能になった理由と思います。
 
 
人殺しや勧善懲悪と同じですが、
 
流行文化は、占星術のように自然現象と結び付き、
 
確信が、遺伝の中身を純化しましたから、
 
インカの生贄のように、
 
生まれつきを決める人殺しが、勧善懲悪の原動力として、
 
崇拝されました。
 
 

私が、いま見ている事実は、本当と、確認できますか。
 
嘘や間違いでなく。
 
 
いま、見ている事実に、私が働きかけて、
 
反応や結果を、
 
論理法則に照らして、検証する手もありますが、
 
他人を使うほうが、手っ取り早い。
 
 
隣に立つ他人も、同じ事実を見ているから、
 
嘘や間違いでないと。
 
 

しかし、他人と結託する手は、
 
これこれの事実を見ていると、
 
お互いに、伝え合わなければいけません。
 
 
言葉や絵を使ったコミュニケーションは、
 
嘘や間違いが多いのでないかと、ケチが付くのは、
 
あたり前です。
 
 

写真やビデオなどの、
 
科学技術を使えば、間違いないと、言われます。
 
 
言葉や絵にしても、写真やビデオにしても、
 
事実を正しく伝えていると、
 
検証されなければいけません。
 
 
言葉や絵に、嘘や間違いが多いのは、
 
だれでも知っていますが、
 
写真やビデオの、嘘や間違いを、検証できますか。
 
 

いま見ている事実と、写真やビデオが、同じであると、
 
証明されなければいけませんが、
 
事実を、直接に他人に伝えられないので、
 
写真やビデオなどの、
 
コミュニケーションのためのメディアを使います。
 
 
事実と、メディアの表現が、同じであると、
 
他人は判断できますか。
 
 

私が知覚した事実について、
 
事実と、言葉やビデオなどの、
 
コミュニケーションのためのメディアの表現が、
 
同じであると、
 
直接に判断できるのは、私1人だけであり、
 
他人に伝えた判断を、他人は検証できないように、
 
私もまた、他人の判断を、検証できません。
 
 
2人とも、それぞれが個人的に判断しているだけで、
 
お互いに、相手の判断の真偽を、検証できませんから、
 
2人は、同じ事実を見ている、とする言葉を、
 
共有しているだけです。
 
 

人が何を知覚しているかは、他人に、わかりません。
 
 
他人の言葉を聞き、矛盾がなければ、
 
本当かも知れない、と思い、
 
論理法則に合致しなければ、嘘や間違いであると、
 
判断します。
 
 

矛盾がなければ、本当かも知れないと、思うのは、
 
たぶん、間違いです。
 
 
矛盾があってもなくても、
 
本当の事実が存在することを、だれも証明できません。
 
 
矛盾があれば、嘘や間違いである、とするのは、
 
明らかに間違いです。
 
 
矛盾だらけの話も、
 
写真やビデオなどの、科学技術により、
 
本当であったと、他人は、判断するかも知れません。
 
 

写真やビデオがあれば、
 
いま見ている事実が、嘘や間違いでなく、本当であると、
 
証明できますか。
 
 
収容所のユダヤ人を、ナチスが大量に殺していると、
 
フランスやイギリスやアメリカにまで、
 
聞こえていましたが、証拠がありませんでした。
 
 
噂(うわさ)は、矛盾だらけでした。
 
 
ドイツが負けると、
 
収容所から、大量の骨や死体が発見されて、
 
ユダヤ人やドイツ兵から、大量の証言が得られました。
 
 
証言に、矛盾があってもなくても、
 
言葉は、嘘や間違いかも知れませんし、
 
骨は、何も語りませんから、
 
骨に纏わる話が、本当であるという証拠に、なりません。
 
 
たぶん、骨や死体が喋っても、
 
嘘や間違いでないと、証明されません。
 
 

どのようであれば、本当であると、確定できますか。
 
 
記号論理学は、すべての判断は定義であり、
 
すべての言葉は、
 
使用されるたびに、新しく定義されると、言います。
 
 
コンピュータの定義が、
 
変更されるまで有効であるのは、
 
定義や変更が、漏れなく記録されて、失われず、
 
だれに対しても、公開できるからです。
 
 
言葉は、慣習法であり、
 
個人の脳の中の、有効な定義を、
 
だれに対しても、1度たりとも、
 
公開できた試しがありません。
 
 
個人の脳は、不公正ですから、
 
脳の中の、自由な定義が尊重されなければ、
 
社会は成り立ちません。
 
 
嘘や間違いの自由が、尊重されなければ、
 
拷問や殺し合いなどにより、
 
嘘つきを片付けるしかありません。
 
 

私と、すぐ傍らに立つ他人が、
 
同じ事実を見ていると、だれも証明できません。
 
 
証明できないにもかかわらずに、ロマン主義の時代には、
 
証明できるかのように、学校で教えていました。
 
 
同じ言葉を使っているからです。
 
 
共産主義革命や2度の世界大戦やホロコーストなどが
 
起こるのは、当然でした。
 
 
日本国憲法日本国憲法は、
 
今も、事実を信奉しています。
 
 
南京大虐殺従軍慰安婦が、事実とされる理由を、
 
おそらく、死ぬまでに理解できません。
 
 

しかし、
 
合意があれば、同じ事実を見ている、とする言葉が、
 
共有されます。
 
 
お金があれば、簡単に談合できますが、
 
貧乏人同士が、すぐに殺し合いになるのは、
 
同じ事実を見ていると、証明する手がないことを、
 
瞬時に理解できないからです。
 
 
証拠がないから、証明できないと、
 
瞬時にわからない人は、
 
事実という証拠を、信じて、
 
藁をも掴(つか)む生活に、
 
死ぬまで、明け暮れるはずです。
 
 

ロマン主義者は、
 
「知覚の主体の精神が、知覚の対象の事実を、
 
目や耳などを使い、知覚する」と、
 
驚異的なことを主張しましたが、
 
日本国憲法日本国憲法が、
 
ほとんど純然たるロマン主義を、標榜していましたので、
 
日本国民は、ロマン主義の脅威を、
 
まったく感じませんでした。
 
 

私は、7才くらいの頃から、
 
目で見たことと、言葉は、違うのに、
 
同じであるとするのは、約束事であり、
 
言葉は全部、約束の組合わせですから、
 
違うものを同じであるとする定義を、
 
明らかにしない大人の世界が、不快でした。
 
 
中学生になると、違うものが同じであると、
 
無責任に言っておきながら、
 
その記録や規則が、法律に提示されないのが
 
諸悪の原因であると、確信しました。
 
 
私たちは、言葉により、言葉を記録できますが、
 
言葉により、見たことや聞いたことを、記録したり、
 
言葉の規則を、作ったりすることは、できません。
 
 

記録も規則もないのに、判決や診断がありますから、
 
人間の頭が足りないのは、
 
ブルドックやダックスフンドを作ったように、
 
遺伝的に変更不能になった流行文化を、
 
論理法則として、宗教のように信奉しているからと、
 
結論しました。
 
 

まだ、中学生でしたので、 
 
男と女は違うから、一緒になり、子供が生まれるなんて、
 
マルクス主義唯物論や科学主義を、信じませんでした。
 
 
それなのに、
 
大学の校舎の入り口を、セメントで塗り固めて、
 
学部を封鎖する羽目(はめ)になり、
 
気がついたら、子供が生まれていました。
 
 
青年は、猫も杓子も、新左翼の時代でしたから、
 
拳(こぶし)ほどもある石ころや火炎瓶を、
 
屋上から、平気で機動隊に投げて、
 
夢のような人生でした。
 
 

アリストテレスの大昔から、
 
世の中は、論理法則で出来ていると、
 
書かれていたくらいに、
 
ギリシャ神話や三国志の、嘘八百が面白いのに、
 
実生活や科学技術の、
 
荒唐無稽な論理法則の組合わせに、文句を言うのは、
 
我が儘というものでした。
 
 

論理法則の成り立ちは、
 
暦のような、天体の運行と、よく似ていますが、
 
生物の分類にも、似ています。
 
 
勧善懲悪より以前に、それを説明しなければ、
 
話が進みませんので、面倒なことです、
 
ブログを書くというのは。
 
 
カーニバルの朝は、ボサノバの代表的な曲です。
 
 
ボサノバは、1960年前後の、
 
ブラジルの新傾向の流行感覚を作った音楽ですが、
 
綺麗なメロディに、
 
ジャズやシャンソンの歌詞を載せた感じでした。