大阪で虹を見た 0022 事実を知覚するのは、個人のような社会のような

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相変わらず、大阪と東京を、行ったり来たりして、
 
たまに、個人的な事情から、
 
上海とニューヨークが、さし挟(はさ)まれます。
 
 
少なくとも、こんなに忙しいのは、
 
金満家の生活でありませんが、
 
私は、元気なうちに、忙しくしていることに、
 
満足しています。
 
 
病気になれば、死ぬ年齢ですから、
 
このまま、忙しく死んでいきたい。
 
 
だんだんと暇になり、眠るように死にたくない。
 
 

もう、石油の仕事は、ありませんから、
 
性転換者たちと、親しくしていることが、
 
信じられません。
 
 
このごろは、性転換に関わったことが、
 
夢のように感じられます。
 
 
自分自身に抗議したくなりますが、
 
身体が老化して、疲れやすくなると、
 
現実が、夢のように感じられます。
 
 

大阪で、くっきりとした虹を見ました。
 
 
大きな虹でした。
 
 
きちっと、天空を横切る半円形に見えて、
 
副虹も、しっかりと映(は)えていましたから、
 
数年に1度の、幸運でした。
 
 
頭上は、厚い曇り空ですが、
 
南西の地平線近くは、晴れていました。
 
 
そこから、光が差し込み、
 
雲の下の小雨に、反射したのでしょう。
 
 
球状の水滴に、入る時と出る時に、2度屈折するので、
 
プリズムのように分光して、虹になります。
 
 
水滴の中で、内側から球面に反射しますが、
 
副虹は、球面に2度反射するので、主虹よりも暗く、
 
色の並び方が、主虹と反対になります。
 
 
私は、あほなので、元気なうちに死にたいと、
 
虹に言いました。
 
 

「知覚の主体の精神が、知覚の対象の事実を、
 
目や耳により知覚する」、とする常識が、
 
論理法則に矛盾することは、論理的に証明されます。
 
 
論理法則の成り立ちと、
 
社会の文化や個人の精神を、変更不能にして行く仕組を、
 
社会や個人が、理解できないのは、
 
論理法則を運用する能力が、生まれつきに低いからです。
 
 
論理法則は、抗精神病薬や科学技術や法律のように、
 
脳の機能を麻痺させる毒として、作用しますから、
 
樽(たる)のディオゲネスや、フーテンの寅さんは、
 
賢(かしこ)かったのかも知れません。
 
 

科学技術は、論理的に運用されて、
 
科学により、論理的に説明されますが、
 
論理技術や論理では、実証されません。
 
 
マルクス主義のような、
 
ロマン主義の1派の共産主義は、
 
科学主義を掲げましたが、潰れました。
 
 
旧ソ連は、
 
コンピュータ技術の立ち遅れと、官僚主義の蔓延が、
 
経済と行政を衰退させて、滅びました。
 
 
科学立国を掲げる日本も、虫の息ですが、
 
西ヨーロッパやアメリカ合衆国憲法は、
 
キリスト教を標榜していますので、
 
公明党憲法改正に、期待すべきでしょうか。
 
 

鉄砲や黒船や原爆などの、欧米の優位を、
 
日本人は、世界で一番よく知っています。
 
 
火縄銃は、組織的に使用しなければ、
 
役に立たなかったので、
 
豊臣秀吉は、組織的な軍事技術の高い日本は、
 
世界を征服できると、期待しました。
 
 
航空機の時代になっても、
 
日本海海戦に勝てる戦艦を作り、
 
原爆を落とされるかもと、心配しなかった日本人は、
 
人殺しに執着しない生き方を、望みました。
 
 
論理法則や科学技術の成り立ちを、理解できません。
 
 

ブルドックやダックスフンドを作ったように、
 
次々に個人を間引いて行かなければ、
 
論理法則や知覚の仕組は、形成されません。
 
 
特定の遺伝的な形質を、純化しただけです。
 
 

個人の脳の外側に、
 
知覚の対象の、事実と言われる物や物語が、
 
知覚されるのに、
 
知覚の主体の、個人の精神が、在るのか無いのか、
 
わからないように、
 
社会や文化も、 
 
知覚されるのか知覚されないのか、わかりません。
 
 
知覚の対象の事実を、知覚する主体の精神は、
 
脳の内側の、個人の精神でなく、
 
脳の外側の、社会の文化でないかと、疑われます。
 
 
脳の外側の社会の文化が、脳の機能を規制するので、
 
個人の脳は、
 
脳の内側に、精神があるかのように、妄想して、
 
脳の外側の、事実の存在を、幻覚と疑わずに、
 
確信するのかも知れません。
 
 
文化が、多くの人に、同じように作用すれば、
 
脳の内側の、同じような判断の枝分かれや組合せを、
 
多くの人が特定するにもかかわらず、
 
私たちは、脳の外側の、特定の事実を共有していると、
 
錯覚します。
 
 

脳の外側の事実を、バーチャルに想定すると、
 
言っても、
 
脳の外側に、事実があるのと、意味は同じですから、
 
事実は、在っても無くても、言葉の綾にすぎません。
 
 
文学表現が、変更不能になるので、厄介です。
 
ただの文学なのに、刑事訴訟や精神医療に及ぶのは、
 
法律家や医師の、論理能力が低いからです。
 
 
神経細胞樹状突起が、判断の汎用性を失います。