伏見稲荷 0026 人間は、社会の存続を、望んでいない

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京都伏見稲荷の千本鳥居。
 
狐と鳥居が一杯なので、
 
朝食に、いなり寿司ときつねうどんを食べたような
 
 
この山を登るのは、
 
毎日、足腰を鍛えるには、手頃でしょう。
 
 
しかし、足腰の筋肉の、運動不足のせいで、
 
歩けなくなるのでなく、
 
たいていは、内臓の病気や、骨の劣化などのせいで、
 
寝たきりになります。
 
 

90才を超えると、風邪などのウイルスにより、
 
中枢神経の反射機能が、損傷されて、
 
ある日、突然に、布団から起き上がれなくなり、
 
回復しません。
 
 
これと言った病気がないので、
 
足腰が弱ったと、思うかも知れませんが。
 
 
 

若い時は、子供の世話ばかり。
 
50才まで、続きます。
 
年を取ると、親の世話ばかり。
 
40才から60才頃まで、続きます。
 
 

ところが、人間は60才になると、
 
すでに知的障害ですので、
 
子供を生むべきかは、問題です。
 
 
先進国は出生率が下がり、
 
生涯に、1人しか、子供を生みません。
 
先進国国民の、自主的な選択です。
 
 

夫婦1組につき、子供2人でなければ、
 
社会は、なくなりますので、
 
人間は、人類滅亡を選択しています。
 
 

この意思を、尊重するのが民主主義と言うべきか、
 
それとも、宗教と言うべきかを、私は知りませんが、
 
人々が自由に選択した意思を、社会は軽んずべきでない。
 
 
民意は、楽をして暮らしたいが、
 
苦しい目をして、社会を存続させたくない。
 
 
個人が楽をして、社会が消滅することを、望んでいます。
 
 
けっして、
 
個人が苦しい目を見てまで、社会の存続を、
 
望んでいません。
 
それが民意です。
 
 

昔の人は、他人の老後を、知りませんでした。
 
今は、芸能人の老後を、知っています。
 
 
あれほどまでに、才気煥発と言われた人も、
 
年を取れば、人間の尊厳や、知性の素晴らしさなどは、
 
跡形もない。
 
 
みな、救いようのない身体障害の知的障害でして、
 
腐った肉が冷凍されるように、処分されて行きます。
 
 
例外は、ありません。
 
 

私が、日本の精神医療や性転換医療を、批判するのは、
 
人間の生涯を見て、
 
当人の望みを、社会が尊重しなければ、
 
社会は、コンピュータと同じでないかと、言っています。
 
 
国民が生殖を抑えて、社会が廃れても構わないからと、
 
個人の快楽を、大切にしているのに、
 
政府が、生殖や社会の存続を、優先するのは、
 
裏切りであり、民主的でありません。
 
 

社会が豊かになれば、個人が楽をして、
 
社会はなくなるべきであると、
 
人類の大多数は、考えています。
 
 
社会が豊かになれば、
 
どこの国も、子供を生まなくなり、人口が減りますから、
 
人々が、そう考えているのは、間違いありません。
 
 

自分が楽であれば、たとえ子供のためであっても、
 
社会の未来は、ないほうが良い。
 
 
まるで、抗不安薬を使用しているような考え方ですが、
 
薬物を使用しなくても、
 
楽しいことや幸せなことや、
 
満足することや快適なことなどは、
 
すべて、抗不安薬と同じように作用しますから、
 
人が幸せを求めるのは、
 
精神的に気持ち良くなり、あほになり、
 
お目出度く死んで行くために、決まっています。
 
 
パスカルの言ったような、考える葦は、人間の姿でない。
 
 

このブログが、精神医療や性転換医療などを、
 
問題にするのは、そのような意味からです。
 
 
医療や法律の、ロマン主義の廃止が、
 
人類を救うと、私は考えています。