三椏 ミツマタは、まだ 0031 ロマンティックな知覚

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ジンチョウゲ科ですので、常緑の沈丁花と同じように、
 
2月に咲いても良さそうですが、
 
東京の三椏は、3月の中頃まで、咲きません。
 
 
香りもありませんが、
 
落葉樹の中でも、葉の開く前に、花が咲きますので、
 
梅や桜のように、人間に可愛がられています。
 
 

そういう物語が、必要なのでしょうか、
 
死んでゆく人間の判断には。
 
 
精神や事実などの知覚だけでなく、
 
科学技術を導き出す論理法則も、
 
勧善懲悪を習得した価値に似て、
 
荒唐無稽の物語が、
 
遺伝的に変更不能になっているだけの、
 
生まれつきの身体的な価値にすぎません。
 
 

一気に書くと、難解になりますので、
 
のんびりと書くと、次の通りです。
 
 
精神が在るのか、無いのかは、
 
だれでも簡単に、想像のつく議論ですが、
 
事実についても、同じように
 
在るのか無いのかが、わからない、
 
という議論になることを、
 
現代日本人は、合点できません。
 
 
最大の理由は、科学技術への信頼から、
 
事実が確実に存在するのでなければ、
 
科学技術が人間の役に立つこともあり得ないと、
 
強く確信しているからですが、
 
科学技術が役に立つからと言って、
 
科学の言い草に、間違いがない、
 
という理由に、なりません。
 
 
科学は、未来の事実を予測しますが、
 
試行錯誤しますので、
 
いつも未来を予測できるとは、限りません。
 
 
多くの人に認められた定説は、
 
かなり確実に、予測していますので、
 
たいていは、予測通りの未来になります。
  
 
科学の主張を、信頼できると判断する根拠は、
 
その主張が、科学的であるからでしょうか、
 
それとも、
 
多くの人に認められた定説であるからでしょうか。
 
 
実際に、たくさんの人が、何度も行なってみて、
 
いつも、その通りなら、
 
その言い分は、間違いないと、信頼されます。
 
 
科学的な理由は、たいてい、後回しです。
 
 
こうすれば、必ず、こうなると、
 
事実を確定しなければいけません。
 
 
条件を絞り込み、その条件なら、必ずそうなると。
 
 
そうして、みんなに支持されて、
 
確定した事実と、科学的な条件は、未来を予言して、
 
たいてい的中しますが、
 
実用的に矛盾の出ない条件と事実も、
 
実用の範囲が広がると、矛盾が出て来ますから、
 
さらに条件を詳しくして、事実を絞り込み、
 
つねに、こまめに改訂し続けなければ、
 
やがて時代錯誤の嘘八百になります。
 
 
この科学技術の事実と、科学が条件を付けた説明は、
 
私たちの生活に合致するように、
 
論理法則の内容を整備して、
 
具体的な事実を、
 
一般的で普遍的で必然的な事実に近づけることにより、
 
物事(ものごと)の規則性と、あらゆる事実とが、
 
同じであると、言おうとしていませんか。
 
 
これはマンサクであると、命名するように、
 
樹木と音声は、違う物事であるにもかかわらず、
 
同じであると定義すれば、同じになります。
 
 
科学技術や科学は、精神と事実は同じであると、
 
定義しようとしていませんか。
 
 

実は、科学技術や科学の行なっていることと、 
 
似たようなことを、
 
人間の知覚が、大昔から行なっていると、
 
ロマン主義と言われる一群の思想家たちは、
 
共通して主張します。
 
 
ロマン主義では、
 
知覚の主体の精神が、知覚の対象の事実を、
 
目や耳を使い、知覚する、と主張します。
 
 
ロマン主義を信じない人たちが、
 
それは変だと、文句を言い、
 
私たちが科学技術を信じて、
 
目や耳で見聞きした事実を、
 
間違いないと確信するのは、
 
流行文化の虚妄にすぎないと、指摘します。
 
 
精神が無いとは、
 
大昔から仏教が言っていただけでなく、
 
キリスト教イスラム教も、
 
私たちの精神は、
 
神の意思に反しない限り、という条件付きでしか、
 
存在しないと主張して来ましたが、
 
現代では、
 
コンピュータの判断の手順を提示した記号論理学が、
 
精神や事実は、論理的な仮定であると、言いますから、
 
インドやギリシャで、論理学が盛んになった古代から、
 
何と何と何が、論理法則として、人種や時代によらずに、
 
多くの人に認められている定義であるかを、
 
大昔から考えてきた人たちにとって、
 
精神や事実による知覚が、バーチャルであるのは、
 
あたり前のことでした。
 
 
精神や事実が、在るのか無いのかは、
 
特定の文脈でなければ、明示できないように、
 
知覚が間違いないと確信したり、
 
目や耳が在るのに決っていると、
 
みんなで信じたりするのは、
 
判断の条件を絞り込む作業を、怠っているだけです。
 
 

私たちが、流行文化を無意識に信じるのは、
 
遺伝的に、そのような素質が取捨選択されて、
 
変更不能になっているからと、疑われるように、
 
論理法則の成り立ちが、流行文化に由来すると、
 
疑わないのは、
 
おそらく、生後に習得された文化は遺伝しないと、
 
受験勉強で教え込まれたせいでしょう。
 
 
一般的に、
 
無意識に信じるのが、遺伝的素質であるだけでなく、
 
特定の具体的な文化を、信じざるを得ないように、
 
生まれつきに遺伝的に規定されていることも、
 
人それぞれに、避けられない判断の傾向かも
 
知れません。
 
 
池の鯉は、生まれた直後に、選択されて、
 
売れない模様の個体は、殺されて捨てられます。
 
 
売れそうな色や柄や形や、病気に対する抵抗力などの、
 
遺伝的な形質を、取捨選択することにより、
 
特定の遺伝的形質のみが、純化(じゅんか)されて、
 
生殖するように、管理されています。
 
 
ブルドックやダックスフンドも、
 
そうして短期間に作られた品種ですが、
 
人間の文化もそれです。
 
 
戦争や訴訟や喧嘩などの争いだけでなく、
 
精神医療や、個人を取捨するための優劣の判定や
 
教育や道徳と称する文化の強要なども、
 
特定の遺伝的素質を選択して、
 
そうでない素質を間引くのが、
 
ほんとうの目的かも知れません。
 
 

世間一般に言われている流行文化だけでなく、
 
道徳や教育や、憲法や刑事訴訟や精神医療なども、
 
事実や精神と言われる架空の物語を根拠にして、
 
個人を抹殺しますので、
 
古代の神話とあまり変わりません。
  
  
錦鯉の、特定の色や柄を、良いとして、
 
そうでない個体を殺すのは、
 
架空の物語を信じているだけの、
 
特定の価値観を根拠にしていますが、
 
道徳や教育だけでなく、法律や医療も、そうです。
 
 

事実の知覚と、論理法則や科学技術の確信が、
 
刑事訴訟や精神医療や憲法などの、
 
ロマン主義の思想に、端的に現われていますので、
 
法律家や医師は、星座の物語のように、
 
他人を殺すことに、躍起になっている自分の精神を、
 
疑いません。
 
 
ロマン主義は、古代の呪術を、
 
復興したようなものですので、
 
共産主義革命や2度の世界大戦やホロコーストなどを
 
惹き起して、自滅しましたが、
 
コンピュータを作った記号論理学が、
 
第二次世界大戦後に花盛りになったのは、
 
ほんの一瞬だけでした。
 
 

アメリカ合衆国やロシアや日本などでは、
 
ロマンティックな思想が、廃れていませんが、
 
第二次世界大戦後の日本経済の躍進が、
 
主たる原因かも知れません。
 
 
その後は、中国経済に引き継がれましたが、
 
毛沢東スターリンが信じた共産主義は、
 
ルーズベルトアメリカ合衆国と並び、
 
第二次世界大戦後も廃れないロマン主義の核心でした。
 
 

コンピュータを作った判断の手順は、
 
日本や中国やロシアやアメリカなどのロマン主義を、
 
きっぱりと否定しているにもかかわらず、
 
まだ、それらの国の民衆は、
 
否定されていることに気づきません。
 
 
おそらく、ロマン主義の脅威を、
 
経験していないからですが、
 
そのことを、頭が悪いと、言うことも出来ます。
 
 
流行文化が、
 
遺伝や論理法則や、知覚される事実などを、作るのは、
 
精神の存在を確信するよりも、厄介です。
 
 
私は、去年も今年も、一昨年と同じように、
 
お正月の迷信を実行するのは、知的障害に近いと、
 
疑いますが、
 
ほとんどの人は、合理的な理由もない文化の伝承を、
 
良いことと感じています。
 
 
語源を詮索したり、礼儀を教えたりするように、
 
ほとんどの人にとって、合理的な生き方は、
 
迷信が廃れないように吹聴することに、
 
ほかなりません。
 
 
自分と同じことを、他人にさせれぱ、
 
孤立を防げる、というものです。