服部セイコーは儲かる? 0018 白金(しろがね)と港区の地形

 

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他人の家を、羨ましがるとは、なんと下品なことか。
 
 
今は、もう空家ですが、
 
服部セイコーの創業者の邸宅跡が、
 
シンガポールの不動産会社に買い取られて、
 
日本の不動産会社が、敷地の端っこの、
 
目黒通りに面した部分に、
 
27階建のマンションを、建築中です。
 
 

邸宅の正面から見ると、使用人を住まわせるために、
 
裏庭の隅っこに、27階建の長屋を建てている感じ。
 
 
セイコーって、世界のブランドですから、当然ですが、
 
持株会社が、305億円で手放したそうです。
 
 
不労所得って、そんなに儲からないのでしょうか。
 
 

こんな写真を撮ったのは、
 
檜町(ひのきちょう)のマンションから、品川の職場に、
 
自転車で通勤しているからです。
 
 
いつもは、六本木ヒルズの下の、
 
朝日放送の前の交差点と、六本木の交差点の間が、
 
唯一の急坂です。
 
 
でも、港区の町を覚えるために、
 
時間のあるときは、できるだけ、寄り道をしています。
 
 
職場が品川ですから、その近辺は知っていますが、
 
文京区と立川市しか、
 
東京は、住んだことがありませんから、
 
港区の住宅地を、ちっとも知りません。
 
 

品川駅の、すぐ北西の急斜面を、
 
自転車で登るのが、大変でしたが、
 
じつは、自転車を降りて、押して歩きました。
 
 
若くありませんから、
 
無理をすると、再起不能になるかも知れません。
 
 

目黒通りを横断して、
 
ここまで来ると、急な下り坂ですから、
 
せっかく登ったのに、もう下るべきかと、
 
ちょっと一服して、google地図を見ていました。
 
 

地図から、道の傾斜を、読み取れますか。
 
 
私の住まう檜町のマンションの前は、
 
自転車を降りなければ、登れない急傾斜ですが、
 
google地図を見ても、国土地理院の傾斜図を見ても、
 
さっぱり、わかりません。
 
 

崖を登る階段の急傾斜は、
 
崖線が、地図の陰影になっていますので、わかりますが、
 
車や自転車の走る道路の傾斜は、もっと緩やかです。
 
 
道路上に、陰影が出ていませんから、
 
傾斜がきついのか、ゆるいのか、
 
なかなか読み取れません。
 
 
ストリートビューや3D表示にして、
 
道路と建物の際(きわ)が、斜めになっているかを、
 
見るしかありません。
 
 
傾斜を意味する模様や色により、
 
地図上の道路を表示して、仕分けすることは
 
出来るでしょうが、
 
元ネタの標高の情報が、階段くらいの急な傾斜や、
 
100mぐらいの長い傾斜でなければ、表示されないほど、
 
大雑把で疎(まば)らです。
 
 
早い話が、橋を渡る道路の傾斜が、地図に表記されない。
 
我が家のマンションの前の道は、
 
荒川を渡る道路の、1.5倍の角度の急傾斜ですが、
 
地図を見ても、読み取れません。
 
 

服部セイコーの創業者の、邸宅前の道路は、
 
ここから北へ、急傾斜を下りますが、
 
地図を見て、思案していたので、身体が冷えて来ました。
 
  
早く帰宅して、暖まるために、もったいないけれど、
 
古川のほうへ下りることにしました。
 
 

渋谷区の渋谷川下流は、港区に入ると古川と言われ、
 
ほぼ西から東に流れますので、
 
港区の山を、古川の北の、青山や赤坂や麻布や六本木と、
 
古川の南の、白金や高輪や三田などに、分断しています。
 
 
私の務める品川駅前は、南の高輪にあり、
 
私の暮らすマンションは、北の赤坂にありますが、
 
昔の地名の檜町の名で、呼ばれています。
 
 

若い頃に、世間並みに一戸建て住宅を、横須賀に買い、
 
京急の特急で、品川に通勤していましたが、
 
結局、娘夫婦の家になってしまいました。 
 
 
父の家が、文京区にありましたので、
 
私が相続したはずですが、
 
これも息子夫婦の家になってしまいました。
 
 

大阪や札幌にも、マンションがありますが、
 
家族は、健康な息子や娘や、
 
その子供たちだけでありませんから、
 
私1人のためのマンションを、
 
東京に、新しく買わざるを得なくなりました。
 
 
身体が疲れるので、遠くからは通勤できません。
 
 
このまま、1人で死ぬ覚悟を決めていますが、
 
もしかしたら、結婚するかも知れない、と言うと、
 
また、息子や娘たちに、怒られます。
 
 

東京都の町の中では、港区が、一番険しい山ですが、
 
火山灰が降り積もり、雨が侵食しただけですから、
 
ごく最近の地層の、幼年期の山です。
 
  
どうして、山手線の西側の武蔵野は、もっと平坦なのに、
 
海に近い端っこの、港区の傾斜が、きついのでしょうか。
 
 
雨が集まり、川の流れが大きくなれば、
 
地層を侵食する力も、強くなりますから、
 
下流ほど、谷が深くなり、そのまま海に流れ込みます。
 
 

4万年前や2万年前って、
 
日本列島が、大陸と繋がっていたように、
 
現在よりも、気温が8度くらい低く、
 
地球上の水分の多くが、
 
氷河や雪として、陸上にとどまっていましたので、
 
海面が、150mも低かったそうです。
 
 
その頃に、アフリカやアジアの人類の一部が、
 
陸続きのアメリカ大陸や日本に、移動しました。
 
 
縄文時代に、急激に、気温と海面が高くなり、
 
今から6000年くらい前に、
 
だいたい、現在と同じになったそうです。
 
 

現在の海面は、縄文時代よりも低いのでなく、
 
川の土砂が溜まったので、海岸線が後退しただけです。
  
 
縄文時代に、海面が高くなりましたので、
 
陸地の谷であった所が、海の入江になりました。
 
 
溺れ谷と言いますが、要するにリアス式海岸です。
 
それまでは、川に侵食されていた山が、
 
波に侵食されて、垂直の急な崖になりました。
 
 

それが、武蔵野台地の末端の、港区の谷が深く、
 
傾斜が急である理由です。
 
 
縄文時代の、今から6000年前以降は、
 
現在と、気温や海面の高さが同じですから、
 
それ以後の、昔の海の入江が、
 
今の陸地になっているのは、
 
川が運んできた土砂が溜まり、
 
海の入江が、自然に埋め立てられたからです。
 
 
土砂により、自然に埋め立てられた港区の溺れ谷は、
 
埋積谷(まいせきこく)と言われます。
 
 
渋谷川や古川の谷は、
 
縄文海進により、海の入江になった溺れ谷が、
 
土砂の堆積により、陸地になった埋積谷です。
 
 

地図をよく見ると、
 
海の波に、垂直に侵食された崖が、
 
海の波の、強く押し寄せる方向に、向いていることが、
 
わかります。
 
 
岬の裏側は、波が静かなので、崖が低いとか、
 
崖にならずに、急傾斜の坂になっています。
 
 
波を、まともに受ける側は、垂直の崖ですから、
 
道は、階段でなければ、迂回しなければいけません。
 
 
岬というのは、慶応大学のある三田の山塊ですが、
 
古川は、三田を迂回するために、
 
魚籃坂下(ぎょらんざかした)あたりから、
 
麻布十番あたりまで、北向きに流れるように、
 
方向を変えています。
 
 

垂直の崖は、ある程度の高さがあれば、
 
傾斜やレリーフを表わす地図に、記載されますが、
 
自転車を漕いで登るのが辛い急傾斜の道を、
 
地図から読み取るのが、なかなか面倒でして、
 
身体が冷えてしまいました。
 
 
服部セイコー創業者の、家の前の道は、ここから北へ、
 
急傾斜の下り坂ですが、波の静かな、岬の裏側なので、
 
垂直の崖でなく、道路があり、急傾斜になっています。
 
 
三光坂と言いますが、
 
三鈷(さんこ)坂とも、言われています。
 
 
三鈷は、刃の付いたダンベルのような、
 
古代インドの格闘用の武器ですが、
 
仏教を守るための、仏具です。