【I'll be Home For Christmas】 0019 クリスマスは我が家で


I'll be home for Christmas - Michael Buble'

【I'll be Home For Christmas】
 
クリスマスは我が家で
 
歌 : マイケル・ブーブレ Michael Buble
 
 
    ***    ***
 
 
クリスマスの歌は、腐るほどありますが、
 
12月25日になると、店仕舞ですから、今が旬です。
 
 
貼付けて置きましょう。
 
 
マイケル・ブーブレは、漁師でしたが、
 
私は、魚が好きですので、
 
ブーブレ君とは、気が合うはずです。
 
 

しかし、彼の女たらしの声を、聞いているだけで、
 
私は、疲れて来ます。
 
 
この声は、明らかに、女性に持てますから、
 
男の身体が、持ちません。
 
 
そういう想像をするんです、私は。
 
 
女性の姿や声や、動作や振る舞いが、
 
目の前に浮かぶだけで、疲れて来ます。
 
 

私は、同性愛者でありませんが、
 
ゆっくりと、落ち着いた気持ちになりたい時や、
 
身体を休めたい時や、
 
行く末の考え事や、仕事の算段をしたい時に、
 
女性が近くにいると、
 
地球の裏側に消えてくれないかと、願います。
 
 
女性だけでなく、子供も邪魔ですから、
 
世界中の子供を連れて、どこかへ行ってくれと、
 
女性に言いたくなります。
 
 
たいていは、自分のほうが、
 
私1人だけのための、マンションに籠もることになる。
 
 

それが悲しい。
 
 
なんで、女や子供から、私が逃げなければいけないのか。
 
この地上から、女と子供が居なくなれば、
 
それで良いのに。
 
 
私は、生まれたことを、後悔します。
  
 
ひとえに、女がいるからです。
 
 
クリスマスになると、そういうことを考えます。
 
 
きっと、マイケル・ブーブレは、わかってくれると
 
思いますが、
 
歌手だけでなく、漁師にも、アホ男が多いので・・・
 
 
この声が、問題です。
 
 
女たらしの声。
 
 
 
 
 
 
 

服部セイコーは儲かる? 0018 白金(しろがね)と港区の地形

 

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他人の家を、羨ましがるとは、なんと下品なことか。
 
 
今は、もう空家ですが、
 
服部セイコーの創業者の邸宅跡が、
 
シンガポールの不動産会社に買い取られて、
 
日本の不動産会社が、敷地の端っこの、
 
目黒通りに面した部分に、
 
27階建のマンションを、建築中です。
 
 

邸宅の正面から見ると、使用人を住まわせるために、
 
裏庭の隅っこに、27階建の長屋を建てている感じ。
 
 
セイコーって、世界のブランドですから、当然ですが、
 
持株会社が、305億円で手放したそうです。
 
 
不労所得って、そんなに儲からないのでしょうか。
 
 

こんな写真を撮ったのは、
 
檜町(ひのきちょう)のマンションから、品川の職場に、
 
自転車で通勤しているからです。
 
 
いつもは、六本木ヒルズの下の、
 
朝日放送の前の交差点と、六本木の交差点の間が、
 
唯一の急坂です。
 
 
でも、港区の町を覚えるために、
 
時間のあるときは、できるだけ、寄り道をしています。
 
 
職場が品川ですから、その近辺は知っていますが、
 
文京区と立川市しか、
 
東京は、住んだことがありませんから、
 
港区の住宅地を、ちっとも知りません。
 
 

品川駅の、すぐ北西の急斜面を、
 
自転車で登るのが、大変でしたが、
 
じつは、自転車を降りて、押して歩きました。
 
 
若くありませんから、
 
無理をすると、再起不能になるかも知れません。
 
 

目黒通りを横断して、
 
ここまで来ると、急な下り坂ですから、
 
せっかく登ったのに、もう下るべきかと、
 
ちょっと一服して、google地図を見ていました。
 
 

地図から、道の傾斜を、読み取れますか。
 
 
私の住まう檜町のマンションの前は、
 
自転車を降りなければ、登れない急傾斜ですが、
 
google地図を見ても、国土地理院の傾斜図を見ても、
 
さっぱり、わかりません。
 
 

崖を登る階段の急傾斜は、
 
崖線が、地図の陰影になっていますので、わかりますが、
 
車や自転車の走る道路の傾斜は、もっと緩やかです。
 
 
道路上に、陰影が出ていませんから、
 
傾斜がきついのか、ゆるいのか、
 
なかなか読み取れません。
 
 
ストリートビューや3D表示にして、
 
道路と建物の際(きわ)が、斜めになっているかを、
 
見るしかありません。
 
 
傾斜を意味する模様や色により、
 
地図上の道路を表示して、仕分けすることは
 
出来るでしょうが、
 
元ネタの標高の情報が、階段くらいの急な傾斜や、
 
100mぐらいの長い傾斜でなければ、表示されないほど、
 
大雑把で疎(まば)らです。
 
 
早い話が、橋を渡る道路の傾斜が、地図に表記されない。
 
我が家のマンションの前の道は、
 
荒川を渡る道路の、1.5倍の角度の急傾斜ですが、
 
地図を見ても、読み取れません。
 
 

服部セイコーの創業者の、邸宅前の道路は、
 
ここから北へ、急傾斜を下りますが、
 
地図を見て、思案していたので、身体が冷えて来ました。
 
  
早く帰宅して、暖まるために、もったいないけれど、
 
古川のほうへ下りることにしました。
 
 

渋谷区の渋谷川下流は、港区に入ると古川と言われ、
 
ほぼ西から東に流れますので、
 
港区の山を、古川の北の、青山や赤坂や麻布や六本木と、
 
古川の南の、白金や高輪や三田などに、分断しています。
 
 
私の務める品川駅前は、南の高輪にあり、
 
私の暮らすマンションは、北の赤坂にありますが、
 
昔の地名の檜町の名で、呼ばれています。
 
 

若い頃に、世間並みに一戸建て住宅を、横須賀に買い、
 
京急の特急で、品川に通勤していましたが、
 
結局、娘夫婦の家になってしまいました。 
 
 
父の家が、文京区にありましたので、
 
私が相続したはずですが、
 
これも息子夫婦の家になってしまいました。
 
 

大阪や札幌にも、マンションがありますが、
 
家族は、健康な息子や娘や、
 
その子供たちだけでありませんから、
 
私1人のためのマンションを、
 
東京に、新しく買わざるを得なくなりました。
 
 
身体が疲れるので、遠くからは通勤できません。
 
 
このまま、1人で死ぬ覚悟を決めていますが、
 
もしかしたら、結婚するかも知れない、と言うと、
 
また、息子や娘たちに、怒られます。
 
 

東京都の町の中では、港区が、一番険しい山ですが、
 
火山灰が降り積もり、雨が侵食しただけですから、
 
ごく最近の地層の、幼年期の山です。
 
  
どうして、山手線の西側の武蔵野は、もっと平坦なのに、
 
海に近い端っこの、港区の傾斜が、きついのでしょうか。
 
 
雨が集まり、川の流れが大きくなれば、
 
地層を侵食する力も、強くなりますから、
 
下流ほど、谷が深くなり、そのまま海に流れ込みます。
 
 

4万年前や2万年前って、
 
日本列島が、大陸と繋がっていたように、
 
現在よりも、気温が8度くらい低く、
 
地球上の水分の多くが、
 
氷河や雪として、陸上にとどまっていましたので、
 
海面が、150mも低かったそうです。
 
 
その頃に、アフリカやアジアの人類の一部が、
 
陸続きのアメリカ大陸や日本に、移動しました。
 
 
縄文時代に、急激に、気温と海面が高くなり、
 
今から6000年くらい前に、
 
だいたい、現在と同じになったそうです。
 
 

現在の海面は、縄文時代よりも低いのでなく、
 
川の土砂が溜まったので、海岸線が後退しただけです。
  
 
縄文時代に、海面が高くなりましたので、
 
陸地の谷であった所が、海の入江になりました。
 
 
溺れ谷と言いますが、要するにリアス式海岸です。
 
それまでは、川に侵食されていた山が、
 
波に侵食されて、垂直の急な崖になりました。
 
 

それが、武蔵野台地の末端の、港区の谷が深く、
 
傾斜が急である理由です。
 
 
縄文時代の、今から6000年前以降は、
 
現在と、気温や海面の高さが同じですから、
 
それ以後の、昔の海の入江が、
 
今の陸地になっているのは、
 
川が運んできた土砂が溜まり、
 
海の入江が、自然に埋め立てられたからです。
 
 
土砂により、自然に埋め立てられた港区の溺れ谷は、
 
埋積谷(まいせきこく)と言われます。
 
 
渋谷川や古川の谷は、
 
縄文海進により、海の入江になった溺れ谷が、
 
土砂の堆積により、陸地になった埋積谷です。
 
 

地図をよく見ると、
 
海の波に、垂直に侵食された崖が、
 
海の波の、強く押し寄せる方向に、向いていることが、
 
わかります。
 
 
岬の裏側は、波が静かなので、崖が低いとか、
 
崖にならずに、急傾斜の坂になっています。
 
 
波を、まともに受ける側は、垂直の崖ですから、
 
道は、階段でなければ、迂回しなければいけません。
 
 
岬というのは、慶応大学のある三田の山塊ですが、
 
古川は、三田を迂回するために、
 
魚籃坂下(ぎょらんざかした)あたりから、
 
麻布十番あたりまで、北向きに流れるように、
 
方向を変えています。
 
 

垂直の崖は、ある程度の高さがあれば、
 
傾斜やレリーフを表わす地図に、記載されますが、
 
自転車を漕いで登るのが辛い急傾斜の道を、
 
地図から読み取るのが、なかなか面倒でして、
 
身体が冷えてしまいました。
 
 
服部セイコー創業者の、家の前の道は、ここから北へ、
 
急傾斜の下り坂ですが、波の静かな、岬の裏側なので、
 
垂直の崖でなく、道路があり、急傾斜になっています。
 
 
三光坂と言いますが、
 
三鈷(さんこ)坂とも、言われています。
 
 
三鈷は、刃の付いたダンベルのような、
 
古代インドの格闘用の武器ですが、
 
仏教を守るための、仏具です。
 
 
 
 
 
 

 

サンシュユ(山茱萸)の実 0017 子房下位と偽果

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茱萸を、日本の山で見たことがありません。
 
 
朝鮮半島や中国大陸に、自生しているそうですが、
 
漢方薬の原料として、日本に輸入されて、
 
栽培されています。
 
 
滋養強壮になるそうですが、効くとは思えませんから、
 
迷信と健康保険を使い、製薬会社に、
 
政府が税金を流しています。
 
 
法律に規定されていますから、犯罪でありませんが、
 
悪徳に近い。
 
人間のすることは、みな、そうですが。
 
 

治す手立てのない患者さんに、
 
「治す方法がないから、もう来なくてよろしい、」と
 
言うのも、無慈悲かも知れませんが、言うべきでしょう。
 
 
合理的に判断したくない患者さんや、
 
迷信に頼る患者さんも、少なくありませんから、
 
漢方薬を処方して、心を繋ぎ留めて置くのも、
 
手かも知れませんが、
 
医師の診断や処方が、最も不合理だったら、困ります。
 
 
事実や論理を測る尺度に、信頼性がありませんから、
 
安心ですが。
 
 

茱萸の実は、花托が膨らみ、果実を覆うので、
 
偽果と言われますが、
 
花びらの付け根よりも下に、
 
子房を持つ子房下位の被子植物は、
 
ミズキ科だけでなく、バラ科の林檎や梨などでも、
 
受粉以前から、すでに花托に包まれているのが、
 
普通です。
 
 
 
 
 

崖線 0016 東京都北区赤羽

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この崖は、
 
上野公園や飛鳥山公園の東側の、延長線ですが、
 
JR赤羽駅の西側の、イトーヨーカドーの西です。
 
 

桜の木が、痩せて変色していますが、
 
根元の土が、これだけしか、空気に接していませんから、
 
酸欠かも。
 
 

植物の根は、地下30cmぐらいしか、潜りません。
 
空気が足りなければ、生きて行けないので、
 
この桜も、猫の額ほどの地表に、
 
根が、トグロを巻いて、盛り上がっています。
 
 
150cmは、空けてやらないと、育ちません。
 
銀色に輝く樹皮が、黒く変色して、苔蒸しています。
 
 

この崖より西の、台地に、
 
住宅団地が開発されていますので、
 
赤羽の駅前は、住宅地の中の繁華街になっています。
 
 
一戸建住宅を買おうと思い、何度も通いましたが、
 
結局、港区のマンションに、決めました。
 
 
赤羽は、主婦の日常生活に、便利な所ですが、
 
京浜東北線埼京線が混雑するので、諦めました。
 
 
港区は、物価が高く、スーパーマーケットも少なく、
 
庶民的な生活を営めませんが、職場に近い。
 
 
もう、庭付き一戸建住宅には、住めないのかも。
 
マンションのほうが、住居の手入れが楽ですから。
  
 
   
 
 
 
 

【 I Didn't Know What Time it Was】 0015 時さえ忘れて


Rodgers & Hart -- I Didn't Know What Time it Was

【 I Didn't Know What Time it Was】
 
(時さえ忘れて)
 
ソプラノ : Barbara Cook
 
 
     ***          *** 
 
 
ジャズを、ソプラノがうまく歌うって、珍しいのですが、
 
バーバラ・クック(1927~2017)は、
 
ミュージカルや映画の、スターでしたから、
 
お手のものです。
 
 
李香蘭1920年生まれ)と、いい勝負かな。
 
 
歌詞は、ありきたりの恋愛の懐古ですが、
 
生殖のために、目が眩み、
 
何が何か、わからなかった若さが、人生の花だったと、
 
あたり前のことを、言っています。
 
 
生殖のために、ありとあらゆる手管を尽くす恋愛が、
 
最高ですね。
 
総理大臣なんか、なりたくない。
 
 
最悪は、皇室の妃だったと、
 
誰かが言っていたかも知れません。
 
 
適応障害だなんて、精神疾患にされて・・・
 
密室の中の、措置入院の診断治療と、同じ手口です。
 
 
狭い意味での精神病でないから、
 
抗精神病薬を注射されずに、精神は助かったけれど。
 
 

この歌のように、
 
今は年老いたけれど、若さと恋愛を懐古する気持ちって、
 
男は、毎日ですよ。
 
 
たくさんの女性が、一生かかって、繰り返す周期を、
 
男は一人で、毎日毎日、繰り返します。
 
 
その気持を、女はわからない。
 
やる前は青春で、やった後は老人。
 
1時間たてば、また青春。
 
 
カマキリの雄は、生殖すると、身体が動かなくなり、
 
死んでしまいますから、
 
生殖直後に、雌に食べられるのは、幸せというものです。
 
 
現在の私は、カマキリに近いと、思っていますので、
 
この歌の気持ちが、わかります。
 
 
 
 
 

アキニレの果実 0014 記憶のための喩え話が大切な、ロマン主義

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枝に、まだ、実が残っていました。
 
翼果(よくか)と言い、
 
果実全体が、薄っぺらな翼状です。
 
 
中に入っている1個かぎりの粒が、種(たね)でして、
 
けっして、中に入ってるのが果実で、
 
その外側に翼状の付属物が発達しているのでありません。
 
 
柿や茄子のように、
 
1個の果実の中に、たくさんの種子が入っている植物と、
 
桃や稲のように、
 
1個の果実の中に、種子が1個だけの植物とがあります。
 
 
同じバラ科でも、
 
桃や梅のように、子房が膨らんだ真果と、
 
苺や林檎のように、子房以外の部分の膨らんだ偽果が
 
あります。
 
 
苺のように、花序全体で1個の果実を作る集合果や、
 
稲のように、
 
花の1個1個が、それぞれの果実になる植物もあります。
 
 
何が果実や種子であるかは、
 
花が受精して、世代交代する変化を、
 
花の構造に着目して、観察しなければいけませんが、
 
葉が変化して、花になり、
 
私たちは、世代交代でなく食用のために、
 
果実や果物を、指差(ゆびさ)しますから、
 
植物の名前が、進化の系統と一致しないように、
 
果実や種子の定義も、
 
植物の形態の遺伝的な枝分かれや組み合わせに、
 
必ずしも一致していません。
 
 

個人の判断の枝分かれが、言葉やビデオなどの、
 
コミュニケーションのためのメディアにより、
 
他人や、他のコンピュータに、伝えられますが、
 
私たちは、言葉やビデオを見聞きして、
 
コンピュータの集積回路や、
 
脳の神経細胞樹状突起などの、
 
判断の枝分かれや組み合わせを、知りたくありません。
 
 
記憶のための喩え話を知り、
 
他人の経験した精神や事実が伝わったと、誤解します。
 
 

そのせいで、脳の樹状突起には、
 
判断の汎用性があるにもかかわらず、
 
脳の特定の部位の神経細胞が、
 
特定の喩え話のためにしか、作動しないように、
 
脳の機能の偏食が、変更不能になっています。
 
 
コンピュータの集積回路は、
 
そのような不具合が起らないはずなのに、
 
昔の技術で作られた集積回路のために、
 
新しいソフトウェアのプログラムを作りませんので、
 
昔のプログラムのためにしか、
 
昔のハードウェアの集積回路は、機能しません。
 
 
脳の樹状突起が、汎用性を失い、
 
判断の変更不能をきたす仕組が、
 
今のコンピュータの集積回路でも、日常茶飯です。
 
 
特定の喩え話のためにしか、
 
機能しなくなる脳やコンピュータを、
 
私たちは、
 
具体的な精神や事実を、たくさん経験したと、
 
歴史的に表現します。
 
 
精神や事実は、経年劣化の原因や指標にすぎません。
 
 

コミュニケーションのための、言葉やビデオなどの、
 
メディアの表現しか、
 
精神や事実は、他人に伝えることが出来ませんので、
 
言葉やビデオを、たくさん経験した人ほど、
 
脳の神経細胞樹状突起が、判断の汎用性を失い、
 
特定の表現のためにしか、機能しなくなり、
 
判断が変更不能になります。
 
 
言葉よりもビデオのほうが、桁違いに情報量が多く、
 
たくさんのビデオを見た人や、
 
たくさんの事実を、ビデオのように思い出した人は、
 
早く老化して、早く死ぬかも知れません。
 
 
頭の悪い人ほど、長生きするので、
 
精神や事実を、よく覚えている人が、
 
日本人に虐められた中国人や韓国朝鮮人のように、
 
南京大虐殺従軍慰安婦を捏(でっ)ち上げて、
 
戦争を起こしてまでも、逆転しようと焦るのは、
 
不思議でありません。
 
 

果たして、私たちが見聞した事実は、
 
言葉やビデオにより、他人に伝えられるでしょうか。
 
 
直接には、他人に伝えられない精神や事実と、
 
他人に伝えるための言葉やビデオの表現が、
 
同じであると同定するのは、個人的な定義にすぎないと、
 
記号論理学者は言います。
 
 

複数の人間は、
 
伝えられた言葉やビデオの表現などを、
 
共有できるだけですから、
 
伝えられない精神や事実を、共有できるとするのは、
 
個人の勝手な思い込みでなければ、
 
権力のための、社会や文化による入れ知恵でないかと、
 
疑われます。
 
 

私たちは、ビデオを見て、
 
自分の記憶と同じであると、確信します。
 
 
ビデオは、
 
0と1の判断の道筋や組み合わせを、現していますから、
 
記憶とビデオは、判断の道筋や組み合わせが同じであり、
 
脳の中では、
 
樹状突起の枝分かれの、相対的な道筋として、
 
記憶されています。
 
 
1つの神経細胞樹状突起では、足りませんから、
 
いくつもの神経細胞樹状突起を、使います。
 
 
判断の枝分かれは、
 
1本が2本になり、2本が4本になるように、
 
選択肢が分岐しますが、
 
生物の進化系統図のように、不均一な枝分かれは、
 
汎用性が低い。
 
 
どの神経細胞を使用しても、似たようなものですが、
 
できるだけ均一に、何度も枝分かれした神経細胞を、
 
たくさん梯子(はしご)して、
 
判断の道筋や組み合わせの、特定や記憶や再現を、
 
行ないたい。
 
 

私たちが記憶しているのも、ビデオが現しているのも、
 
この判断の道筋や組み合わせですが、
 
無意味な乱数を暗記するように、
 
すでに知っていることに、こじつけて、
 
関連があるかのように、擬(なぞ)らえれば、
 
合理的です。
 
 
たくさんの意味を重ね合わせたほうが、
 
脳の神経細胞の掛け持ちや梯子(はしご)などの、
 
繋ぎ合わせが、少なくて済みます。
 
 
私たちが、ロマンティックな物語を作り、
 
0と1の無意味な羅列を、
 
言葉やビデオのように記憶するのは、
 
コンピュータの判断や記憶の仕組と、同じです。
 
 
人間の脳を、コンピュータが真似(まね)ました。
 
 
0と1の羅列から、
 
ロマンティックな言葉の使用に至る経緯は、
 
コンピュータが、すでに役立っているように、
 
間違いなく、私たちの脳の常套手段でした。
 

私たちの脳やコンピュータが、
 
記憶したり判断したりするのは、
 
0と1の、判断の枝分かれや組み合わせを、
 
特定するためですが、
 
社会や文化は、コミュニケーションのための、
 
言葉やビデオなどの、メディアの表現だけが、
 
精神や事実であるとして、
 
精神や事実の、嘘や間違いや本当を、識別します。
 
 
0と1の羅列を特定するための、
 
喩えや関連付けやリンクやこじつけに、
 
真偽の価値があるとするのは、
 
論理法則との一致を検証する、という意味です。
 
 
論理法則に違(たが)わなければ、
 
いかなる喩え話や物語も、絶対に嘘と証明されない、
 
という論理至上主義が、
 
インドヨーロッパ文明の根幹にありますので、
 
事実の出所が吟味されることは、ほとんどありません。
 
 

個人が、精神や事実を、直接に伝えられずに、
 
言葉やビデオの表現だけしか、他人に伝わらないのに、
 
ビデオと経験事実の内容が、同じであると、
 
判断するだけでなく、
 
他人も、その人の経験とビデオの内容が、同じであると、
 
判断して、
 
同じビデオが、同じ事実を経験した証拠になるのは、
 
論理法則に違(たが)わないからであり、
 
まったく別の判断も、簡単に成り立ちます。
 
 

汎用性のある樹状突起の枝分かれが、
 
喩え話のために使われるので、
 
脳の判断が変更不能になり、汎用性を失うのは、
 
ロマン主義の典型です。
 
 
ビデオの内容が、喩え話であるのは、
 
脳やコンピュータには、大切でなく、
 
社会や文化にとって、精神や事実の喩えが大切である、
 
という意味ですから、
 
どのようにして、ビデオは、
 
社会や文化の、特定のバーチャルな物語を、
 
記録できたのか、ということが、問題です。
 
 

社会や文化にとって、存在するのは、
 
言葉やビデオなどの表現だけであり、
 
個人が知る精神や事実は、バーチャルにすぎませんが、
 
個人にとっては、個人的な精神や事実だけが存在して、
 
言葉やビデオの内容は、
 
他人や社会や文化に伝えるための、
 
コミュニケーションの手段としての、
 
表現や権力にすぎません。
 
 
事実や精神と、言葉やビデオなどの表現が、
 
一致するのは、
 
個人と、社会や文化などの権力が、
 
結託しているからであり、
 
一致しないのは、争っているからです。
 
 
科学技術が、写真やビデオを作ったのは、
 
科学技術が、現代の権力を作ったからです。
 
 
論理主義と科学主義は、
 
共産主義革命や2度の世界大戦やホロコーストなどを
 
招いたロマン主義の特徴です。
 
 

ハルニレに比べて、
 
アキニレはこじんまりしていますが、
 
凄まじい量の翼果が飛びますので、
 
ポプラの雌株と同じで、街路樹にされると、迷惑です。
 
 
アキニレは雌雄同株ですので、 
 
この木が1本あると、周囲の生垣の中にまで、
 
たくさんの苗木が芽吹きますが、
 
大きくなると、病気に罹りやすく、また迷惑です。
 
 
せっかく育てたのに、病気になり、
 
伐らなければいけないのは、こん畜生ですから。
 
 
樹皮が剥がれて来ますので、あまり奇麗でありませんが、
 
病気に罹らなければ、
 
日本の広葉樹の高木の、最も細かい葉の質感が、
 
遠くからでも、美しく眺められます。
 
 
日当たりの良い水辺に育ちますから、
 
田んぼの多い日本の木ですが、
 
水辺の確保が、都会では難しい。
 
 
同じ楡(にれ)でも、ハルニレと大違いです。
 
 
 
 
 
 

ヒイラギナンテン 0013 日本の精神医療は、正気か

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今が見頃の、正真正銘冬の花と言うべきか、
 
早春の花が、早く咲いているだけと、言うべきか、
 
少なくとも、秋の花が、遅れて咲いているのではない。
 
 

メギ科メギ属ですから、メギ科ナンテン属に、近く、
 
モクセイ科モクセイ属のヒイラギに、近くありませんが、
 
ヒイラギと言い、メギと言い、
 
いずれも、刺(とげ)のある低木です。
 
 

ヒイラギのように、葉に刺があり、
 
ナンテンのように、葉が複葉ですが、
 
ヒイラギでもナンテンでも、ない。
 
 
 
    ***      ***
 
 

私が、現在の事実に基づいた生活を、
 
少しも信じていないのは、
 
宗教や論理法則やコンピュータなどに頼る生き方を、
 
屁とも思っていないのと、同じです。
 
 
同様に、勧善懲悪や科学技術や向精神薬なども、
 
必要ありませんが、
 
身体が老化すると、痛いとか苦しいとかの感覚が、
 
鈍(にぶ)くなるのを、どうしようも出来ません。
 
 
このまま、感覚が麻痺して行けば、
 
眠るように死ぬことになりますから、
 
良いのか悪いのか、わかりません。
 
 
古くなった機械が、動かなくなるように、
 
死ぬのでしょうが、
 
科学技術を信じていませんから、
 
そのように譬えるのも、あほくさい。
 
 

私は、好きなことをして、
 
嫌(きら)いなことをしないで、生きますが、
 
社会から吹き込まれた好き嫌いですから、
 
一番に信じられないのは、自分自身です。
 
 
他人の心と身体が生きているように、
 
自分が生きていると言えば、
 
解離性障害と診断されるので、それも言えません。
 
 
多数派の他人を見習い、生きることに、満足しなければ、
 
精神疾患と言われますから、
 
法律に違反しないように、無難に生きるほかに、
 
仕方のない人生は、つまらない。
 
 
人間は、他人に憎まれて、
 
指名手配されて、みんなに殺されるように、
 
やりたい放題に生きるのが、一番ですが、
 
やりたいことが、哲学では、様(さま)になりません。
 
 
お好きなようにと、言われるだけで、
 
だれからも憎まれずに、殺されもしませんから、
 
毒にも薬にもなりません。
 
 

でも、形而上学の考え方や、
 
ロマンティックな生き方や、
 
コンピュータの作り方などを、
 
なぞってみるのが、大好きですから、仕方ありません。
 
 
精神医療や石油取引は、大嫌いです。
 
 
1年半も、アゼルバイジャンのバクーに駆り出されて、
 
石油取引に従事しましたので、
 
もう、ガソリンスタンドを見るのも、嫌(いや)です。
 
 
浦賀水道を眺めていても、LPGタンカーが来ると、
 
さっさと、引き上げます。
 
 
精神科が性転換に関わる理由に至っては、お笑い草です。
 
 
統合失調症のせいで、性転換を望む人なんか、いないと、
 
高(たか)を括っていましたが、
 
実際にいましたから、厄介です。
 
 
性転換をしてしまってから、
 
元に戻りたいと、言い出す人も、たくさんいますから、
 
精神病の除外や人生相談などは、
 
形成外科で充分だろうと、鼻であしらっていると、
 
面倒臭い仕事を、他人に押し付けるなと、
 
形成外科医に怒られます。
 
 

警察官がやればいいのに。
 
 
どうせ、精神科は、権力の暴力装置ですから、
 
医者のやるべき仕事でありません。
 
 
ロマン主義は、
 
知覚の主体の精神が、知覚の対象の事実を、
 
目や耳を使い、知覚する、とする考え方です。
 
 
権力の教条と違う考えを、
 
宗教を信じていないのに、実行する奴を捕まえて、
 
抗精神病薬により、人格を不可逆的に破壊するのが、
 
精神病の診断と治療です。
 
 
精神科の仕事は、
 
権力のための治安維持にすぎませんから、
 
医療とは無縁のはずですが、
 
学力検査と医学部の関係を見れば、わかるように、
 
医者が、権力の頂点であれば、
 
精神医療の実態が、治安維持になるのは、あたり前です。
 
 
ポルポトは、親しい4人を除き、
 
カンボジアの医者を、全員、殺しました。
 
 
彼は、毛沢東文化大革命に共鳴しましたが、
 
「平和は、鉄砲を使わない戦争である」と、
 
毛沢東は言いました。 
 
 
医療は、鉄砲を使わない戦争であると、
 
日本の精神科医は、言わなかったでしょうか。
 
 
私は、精神医療や石油取引が、好きでありません。
 
石油の出る所には、必ず戦争があります。
 
精神科のある所には、必ず大量虐殺があります。
 
 
ユダヤ人を、ガス室で処分するのと、
 
人を、精神病と診断して、抗精神病薬を飲ませるのとは、
 
同じ意味なのに、日本人は気づきません。
 
 
西ヨーロッパでは、
 
とっくの昔に、精神病院が廃止されたのに、
 
日本人が、少しも気づかないのは、
 
共産主義革命や2度の世界大戦やホロコーストなどを
 
惹き起したのが、
 
ロマン主義と言われる考え方であるのに、
 
日本国憲法が、
 
純粋なロマン主義を、標榜しているからです。