タイワンフウかアメリカフウか 0005 知覚と、メディアの表現と、コンピュータ

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大阪上本町の正念寺という浄土宗のお寺の、五輪塔
 
 
私の通っていた高校の近くで、懐かしく、
 
シャッターを切らざるを得ない気持ちになりました。
 
 

五輪塔は、地水火風空を表わしていますが、
 
地が四角で、水が丸、火が三角を意味する笠形で、
 
このあたりまでは、簡単に理解できますが、
 
なんで、
 
風(ふう)が半月型で、天空を表わしているのか、
 
空(くう)が、てっぺんの宝珠形であるのかと、
 
問われても・・・
 
 

仏教以前の古代インドの考え方ですから、
 
中東や西欧にも、キリスト教イスラム教などにより、
 
日本と同じように、伝わりました。
 
 
世界は、土と水と火と空気と精神で、出来ていると。
 
 

コーカソイドと言われる白人種の遺伝的素質は、
 
現在のタジキスタンあたりで、固定されたそうですから、
 
アレクサンダーが、インドを目指したように、
 
白人が、中央アジアに憧れるのは、
 
日本人が、仏教の発祥地を知りたいと思う気持ちよりも、
 
遥かに強い。
 
 
故郷ですから、あたり前ですが、皮膚の色は違うものの、
 
西洋人とインド人は、同じ顔立ちですから、
 
仕方ありません。
 
 
ジプシーが、西へ西へと、放浪する気持ちは、
 
白人が、西ヨーロッパに辿り着いた気持ちと、同じです。
 
 
海に落ちて、アメリカを超えて、日本に漂着しました。
 
大航海や西部開拓やペリー提督の気持ちも、同じです。
 
 

私の生まれた修験道の宗派は、真言宗天台宗ですが、
 
日本全国の正念寺は、浄土宗と決っているのでしょうか。
 
 
仏教だけでなく、ゾロアスター教ミトラ教や、
 
キリスト教イスラム教も、そうですが、
 
世界的な宗教は、皆、インドから流れ着きました。
 
 
彼らは、現実を測る物差(ものさし)として、
 
バーチャルな価値に、目盛りを刻みましたので、
 
今も、地水火風の事実は、空なる精神の産物であると、
 
信じる傾向が、強い。
 
 

そうすると、現代では、たちまち問題になるのは、
 
科学技術の事実と、目や耳の感覚器官の存在は、
 
幻なのかと。
 
 
言葉や絵は、嘘や間違いが多く、
 
事実や精神を、精確に、
 
他人に伝えることが、出来ませんでしたが、
 
写真やビデオという科学技術により、
 
事実の主要な部分を、
 
他人に伝えることが、出来るようになりました。
 
 
これにより、事実や精神だけでなく、
 
目や耳は存在しない、などとは、
 
だれも、主張しなくなりましたが、
 
コンピュータを作った記号論理学は、
 
経験論の立場から、事実や精神の存在を疑い、
 
ロマン主義の世界観を、否定しただけでなく、
 
目や耳の存在も、
 
他人に伝えることのできる情報のみから、
 
バーチャルに、
 
他人と共通の実在を、想定したにすぎないのでないかと、
 
疑いました。
 
 

知覚の主体の精神が、知覚の対象の事実を、知覚する、
 
とするロマンティックな考え方は、間違いでないか。
 
 
事実や精神を、他人に伝えるための、
 
ビデオや言葉などの、
 
コミュニケーションのためのメディアの表現だけが、
 
存在するのでないか。
 
 
少なくとも、メディアの表現だけしか、
 
他人に伝えることが、出来ませんから、
 
表現の奥に鎮座する事実や精神と、
 
メディアの表現とを、比較して、
 
これは同じであり、これは違い、
 
これとこれは似ているなどと、翻訳する手順は、
 
個人それぞれの、ローカルな儀式のようなものであり、
 
事実や精神は、ローカルな手順により、個人的にのみ、
 
存在すると信じられているアイドルでないかと、
 
記号論理学者は疑い、
 
人間の判断の手順を、真似ることにより、
 
コンピュータの原理を、制作しました。
 
 

そのコンピュータが成功して、いま、流行しています。
 
 
他人に伝えられるのは、メディアの表現だけですから、
 
個人的な事実や精神が、他人と共通であると、
 
普遍的に保証されるのは、
 
ビデオや言葉などの表現が、同じ場合だけです。
 
 
コンピュータで言えば、言葉や絵やビデオの、
 
マシン語の0と1の、判断の羅列が同じであれば、
 
他人や他のコンピュータに、
 
同じ判断として、伝えることができます。
 
 

当然、それぞれの人は、
 
全然別の事実や精神を、知覚していても、
 
表現が同じであれば、
 
他人と同じ事実や精神を、共有していると、
 
確信するだけでなく、
 
表現と、事実や精神との、
 
人それぞれの翻訳は、個人の領分ですから、
 
翻訳を差し替えれば、どのような表現であれ、
 
事実や精神と同じであるとか、違うとか、
 
似ているとかと、まったく個人の勝手により、
 
理解したり誤解したりすることができます。
 
 
精神だけでなく、事実も、
 
神さまの一種のように、変幻自在な物差しにすぎないと、
 
記号論理学は主張しました。
 
 

コンピュータの成功は、
 
ロマンティックな事実や精神の、知覚の理論を、
 
大筋(おおすじ)において、否定していますが、
 
頭が悪ければ、気づかないだけでなく、
 
今も、事実や精神の存在を信じて、
 
刑事訴訟や精神医療が、行なわれていますから、
 
論理法則と言われる流行文化の化石と同じように、
 
普及すれば普及するほど、
 
世界が支離滅裂になるのは、あたり前です。 
 
 

メディアの表現だけがあり、
 
事実や精神は、ローカルでバーチャルな判断であると、
 
コンピュータが言っているにもかかわらず、
 
コンピュータに頼る人間が、事実や精神を根拠にして、
 
殺人犯人や精神病患者の、命や人格を、
 
強制的に処罰したり、不可逆的に破壊したりするのは、
 
明らかに矛盾しています。
 
 
 
 

大阪の上町筋の街路樹は、モミジバフウでしょうか。
 
 
もう、葉が落ちていますので、
 
ちょっと見た目には、プラタナスに見えますが、
 
樹皮が、丸く剥がれないので、フウでしょう。
 
 
トウカエデという線もありますが、
 
ささくれていませんので、大丈夫と思います。
 
 

上海は、どこへ行っても、
 
街路樹と言えば、プラタナスですが、
 
日本は、道により樹種が異なり、
 
楽しくて仕方ありません。
 
 
樹木は、長生きしますので、
 
上海の並木が、色とりどりになるまでに、
 
少なくとも、50年はかかるでしょう。
 
 

中国は、それだけ近代化が遅れたと、私は感じますが、
 
中国人だけでなく、日本人も、
 
ほとんどの人は、何も感じません、
 
 
泉谷しげるの歌の、春夏秋冬のように、
 
季節のない街に生まれ、という感じです。
 
 

ブログを、新しく始めるにあたり、
 
写真を、原寸で表示できないのが、不安です。
 
 
趣味が、植物の採集分類なので、
 
原寸でないと、種類を特定できません。
 
 
新しく、撮り直さなければいけませんので、
 
不可能に近い。
 
もうすぐ、死にますから。
 
 

今のうちに、良いWeb(蜘蛛の巣)を探して、
 
乗り換えるべきなのかも。
 
 
写真の原寸は、サイドバーに書いた通りに、
 
はてなフォトライフというサイトの、
 
私のID(LogicalPsychiatryX)のフォルダ
 
http://f.hatena.ne.jp/LogicalPsychiatryX/
 
に、保存されていて、
 
不特定多数の人に公開されるように、設定しましたが、
 
そこまで行かなければ、見れません。
 
 
サイドバーから写真フォルダに、リンクしていますので、
 
暇な人は、細部を調べて下さい。

 
 
植物の分類は、精密でなければ、役に立ちません。